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「個人」という概念は輸入されたもの①

私たちは唯一無二の「自分」を持っている。つまり「自我」はたった一つである。
私たちは家族、友人、恋人、職場、SNSなど、生活の中でいろんな人や環境と関わる。その関わりの中でいろんな顔を使い分けるが、「本当の自分」はたった一つである。
それが現代で少なからず一般的に思われている「個人」像だと思う。

それと同時に、「八方美人」という言葉が悪い意味で使われるように、人や環境に合わせて自分を変えることは間違っている。どんな環境でも「本当の自分」、個人としての自分を表に出すことが正しいのだ。
といったような価値観が今当たり前になっているように感じる。

でも、絶対的なものとも思える「個人」という概念は実は西洋から輸入されたもので、もともと日本に存在しなかったらしい。
この記事では二回に分けて、いかにして「個人」という概念が日本で確立されたのか書いていきたい。

この記事の内容は小説家平野啓一郎氏の『私とは何か「個人」から「分人」へ』を参照したものになっているので、詳しく知りたい方はこの本を読まれるといいと思う。

「個人」の価値は西洋で確立された

「個人」という単位がいかにして輸入されたかを話す前に、輸入元である近代西洋でどのように確立されていったのかをまず見ていきたい。

まず「キリスト教」がいかにして「個人」という単位の確立に関わってきたか見ていきたい。
そもそもキリスト教では近代以前から「個人」の価値は重視されていた。
キリスト教では神は常に物質的なものに現れるわけではない。そのため神とは精神的に向き合う必要があり、またキリスト教は一神教であったため、唯一の神と向き合うには自分もまた偽りのない「本当の自分」である必要があった。そのためもともとキリスト教では唯一無二の自分があるという考え方が重要だった。

一方、世俗の方では中世の封建制度の解体から続く、既存制度の解体が強く影響しているという。
階級制度が終わり、市民は個人単位までバラバラになった。
また啓蒙主義を経て民主化が進み、自由で平等な「個人」が尊重されるようになった。

経済的な視点では様々な職業が誕生し、社会の機能分化が進んだ。
個々がそれぞれの個性を発揮できる職業を選択できることは、個人と社会双方が望んだことだった。また首尾一貫した「個人」は社会を安定させるための基本的な構成要素として必要とされた。例えば銀行からお金を借りるときに誰が借りたのかが不明瞭だと不都合が生じる。「個人」を保証するのは日本では運転免許証や実印など、戸籍との同一性を証明するものだ。

文化面では、例えば小説では仰ぎ見られる「英雄」ではなく、身近な「個人」の多様な人生が人々を魅了した。

このように「個人」という概念は宗教、制度の変化から始まり、その後経済的・文化的な影響を受け確立されていった。

次回ではこの概念がどのようにして日本で確立されたのか見ていこうと思う。

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