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あの日旅立ちぼく育ち

先日インプットの日と題しまして
映画鑑賞をしました。
noteを書く上でインプットは大切な時間です。
明日の自分は今日の自分よりも一歩前へ!を
モットーにクリエイターとして成長していきたいと思っています。

お疲れ様です。
仕事を辞めてから毎日
今日自分がしようと思っていることに名前をつけ、
何かしている感を演出している
プロペラ(25歳 無職 独身男性)です。

冒頭にしゃらくせえこと書きたてましたが、
まあ端的に言えば
このまえ、ぼくは、えいがをみて、ゴロゴロしていました。
以上です。

先日鑑賞したのは「プーと大人になった僕」という映画。
この映画はすごく感動しましたし、
クリストファーロビンがとうに忘れ去っていた
子供の頃の記憶を徐々に取り戻す過程が
とても情緒的で、かつわかりやすく描写されていました。

特に大人になったクリストファー・ロビンが、
子供の頃の遊びを昔と同じように
もう一度本気でやるシーンは最高です。
自分の仕事用のかばんを架空の怪物に見立てて踏み潰す様は、普段抑圧された感情を解き放ち
嫌な大人になってしまった自分そのものを
怪物に見立てて打ち倒す儀式のように思え、
とても情緒的なシーンでした。

同じ場面にてクリストファーロビンを演じている
ユアン・マクレガーが傘を剣に見立てて
振り回す姿はオビワンを彷彿とさせ、
スターウォーズファン的にもニヤリとしましたね!

この映画を鑑賞し終わって、
俺も大人になっちまった…
子供心を大切にしないとな。と思いましたが、
僕は未だにお風呂で台風ごっことかしているので
本気で感情を解き放つほど大人になってないなと
自分の幼さに気がついてしまい、
ちょっと凹みました。

でもそんな僕にも大人になった瞬間があったんです。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題。
今回は、なんてことない出来事と思っていたら
結構重大な意味を持っていた!というお話です。

皆さんは大人になった瞬間を覚えていますか?
自分が大人になった!と思うことって
思い返せば色々あると思いますが、
俺も丸くなったなーみたいな文脈で使われることが多いと思います。

そういったものとはまた別の、
人間という生物としての成長を
感じたことがあるでしょうか?

おそらくほとんどの人が気づかずに
成長していくと思います。
僕も気づかずにそのまま大人になっていきました。

しかしあるとき、大学の授業を受けている中で
あぁ!あれって大人になっていたんだ!
気付かされて衝撃を受けたことがあります。

僕が成長した出来事のきっかけは16年前。
小学4年生(10歳)の頃でした。
母方の祖父を病気で亡くし、初めて身内の人間が死にました。

おじいちゃんは大好きだったけれども、
不謹慎ふきんしんなことに全く悲しくなく、帰省して歳の近い従兄弟いとこたちとたくさん遊べたのでとても楽しかったことを覚えています。

というのも、自分がいずれ死んだときに
また天国で会えるから、悲しくないと思っていました。
遠くの国に引っ越したくらいの感覚でしょうか。

そして1年後。
小学5年生(11歳)になったプロペラ少年は、
風邪をひいて学校を欠席。
家でテレビをボーッと観ていると、映画の再放送がやっていました。
その映画は、死んだ人が1週間だけ別人として
現世によみがえり、やり残したことを
精算して、あの世に旅立っていく。
というストーリー。

今まで感動系の映画を見てもなんとも思わなかったのに、このとき初めて悲しくなり、ひとりで泣きました。
あの世に旅立っていく主人公が
前の年に死んだおじいちゃんと重なったのです。

なんであのときあんなに悲しかったんだろう?
と疑問を持ったまま、時は過ぎて行きます。

その答えは10年後に待っていました。

映画で号泣したことなどとうに忘れた20歳の頃。
大学に進学し発達心理学の講義を受けていたときのことでした。

【発達心理学とは】
受胎から死に至るまでの生体の心身の形態や機能の成長・変化の過程、これに伴う行動の進化や体制化の様相、変化を支配する機制や条件などを解明し、発達法則を樹立しようと目ざす心理学の一分科。
コトバンク,「発達心理学とは」,
URLhttps://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%81%94%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-115139 (2021.2.2)

堅苦しい説明ですが、人の精神的な成長の過程を勉強するジャンルと
思っていただいて差し支えないです。(たぶん)

講義の中で、
子供が"死"の概念がいねんを理解するのは10歳〜11歳ごろ。
それ以前は死の概念を理解できていないので、
子供によっては生き返れると思っていたり、
ゲームで一機失ったような感覚を持っていたりする。

ということを習ったとき、
忘れ去っていた子供の頃の記憶が蘇りました。
俺それ経験したことあるぅ〜!!という驚きと
興奮で鳥肌がおさまらず、興奮するがあまり涙さえ出てきたことを覚えています。

つまり、あのとき僕があんなに悲しかったのは

10歳の時に理解できていなかった"死"という概念が、
11歳になって映画をトリガーとして理解できたからだったのです。


人生の中で伏線回収したような、強烈な経験でした。

生前は初めての男の子の孫ということもあって、
一際ひときわ可愛がってくれていました。
最後にその命をもってして
僕を成長させてくれたおじいちゃんには
本当に感謝しています。

立派な大人にはなれなかったけれど、
元気に生き抜いて人生を終えたとき、
向こうで一緒にタバコでも吸いながら
積もる話をしたいなと思う冬の夜でした。

以上、よろしくお願いします。





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