草津よいとこ一度はおいで、いやいや二度も三度も行きたいです

仕事のち音声収録のち仕事、という土曜日を乗り越えて、待ちに待った日曜日。ここしばらくの半死半生は全てこのためと思えるほどの、朝10時すぎ。草津温泉へ行くために恋人と待ち合わせる。

水玉の襟の、ワンピースを着てきた恋人は、なぜかぼくの目にはいつもよりくっきりと映った。過度な飾りや柄がない、さらりとした服がよく似合う人だ。それはぼくの意識が集中しているせいもあると思うけれど、たくさんの人がいても恋人の姿は浮かび上がって見える。目を惹く、人なのだろう。

特急草津号でのんびり向かおうとしていたけれど、ぼくの手違いで出発時間を勘違い。電車はすでに行ってしまって次は2時間後。「ごめん!」と告げると、恋人は「いいよー」と、上野で2時間つぶすコースをあっさり選択してくれる。笑う時に、目が細くなって、口を手で隠すんだけど鼻に細かくしわが入るときが可愛いなーとおもう。30年後もこのままの感じで笑いそうで。

たどりついたホテルの「お宿 木の葉」は品がよく、なにより全館が畳だったので足元がいつも気持ちいいのが嬉しかった。大浴場の乾式サウナは92℃、思いの外にキンキンのセッティングで、深さのある18℃ほどの水風呂、露天風呂での外気浴、そして良質な温泉というループにすっかりやられる。

ライトアップされた湯畑を見に行こうと言っていたのに、食事をとって横になったら、すっかり寝入ってしまう。目が覚めたら恋人も横にいて、「わたしも寝ちゃった」と言うけれど、ぼくはそれを恋人の優しさだと受け取ることにした。「夜の湯畑を見るためにまた来ようね」「草津はすごくいいところだから来年も再来年も来たいね」と恋人は言ってくれる。

すこし前に、(たぶん「何があるかわからない」という死生観とか不安とか色んな理由があるんだろうけど)彼女は「かんたんに未来のことを約束したくない」といったことを話していたので、「また」とか「来年も」とかの言葉を聞くたびに、ぼくのなかに嬉しさがじわっと広がって、それだけ恋人のなかに自分という存在を、わずかにでも響かせていられるのかもしれない……と喜びがある。その言葉をくれるときの声は、いつもよりずっと優しく聞こえる。

でも、ホテルで浴衣姿の自撮りをして「うわー、すごいオタク受けしそうな一枚が撮れた」とか思ってることが口に出てくるときの声の感じも好きだったりする。その写真はもらうことにした。ほんとうに受けそうだった。というか学生時代にしっかりオタクだった自分としては完全にヤられました、心。

そしてぼくは、草津で誕生日を迎えて、32歳になる。「30代になるのが怖い」なんてちょっと前まで思っていたのは、最近あんまり意識はしなくなった。むしろ「できること」が増えてきたようにも思えて、楽しくすらある。

ぜんぜん落ち着きのないまま人生が進んでいるし、32歳のぼくが恋人と草津で過ごすなんて想像もしていなかったけれど、とにかく今日という日が、満たされた時間であることがたまらなく嬉しい。

未来、っていう言葉の不確かさを疑う気持ちは、最近は青木耕平さんと若林恵さんから影響された今も続いていて、ぼくは「希望」を探すようになっている。

そして、希望を生み出せる人でありたいとも思ってきている。それは自分なりの大きさのものでよく、手渡せる範囲はそれぞれで異なるはずだ。少なからず目の前にいる、この恋人という、人生のなかで出会ってしまった稀有な存在に何かを手渡してあげたい。そんなふうにあらためて思う。目の前のひとりを想像して言葉を贈れたとき、その記事はたいてい、良く出来上がるものだしね。

https://kurashicom.jp/3059

草津では、ホテルの温泉をめぐり、西の河原公園の大露天風呂に入り、さらには日帰り湯に入り……と、ひたすらに湯三昧をする。はじめて見る「湯もみ」もショーとして楽しく、町もコンパクトでめぐりやすい。日帰り入浴と散歩を繰り返すだけで一日あっという間なので、温泉が好きだったら良い旅になる場所なんじゃないか。

東京に帰り着いてから、遅くだったけれど、食事に繰り出す。串カツを食べながらお酒を飲む。移動疲れもあっただろうし、飲み過ぎもあって、帰宅したころにはすっかり眠気でとろけきる。その日の夜、ぼくは芥川賞の候補に選ばれるも落選する夢を見る。これで受賞となったら上手く出来過ぎな土日になるので、落選くらいでちょうどよかったんだろう。

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