「間違った暮らし」なんて有り得なくない?
鳥もも肉を日本酒と昆布茶でマリネしてみたら、やわらかくて美味しいチキンステーキができた。
高級な鶏肉は味わいが濃いので下手なことはしないほうがいいとおもうんだけど、外国産の冷凍モノみたいな手頃なやつは、昆布茶なり味の素なりを遠慮なく使ったほうが美味しい。
味の素の業務用を紹介するサイトのコンテンツが充実していて、それで以前に「ほんだし」や「味の素」の活用術を読んで、「あぁ、ふつうに飲食店だってつかってて、それをうまいとお金出して食べてるのであれば、なんの迷いなく真似すればじゃないか」という気持ちになった。
https://www.ajinomoto.co.jp/foodservice/useful/butaiura/index_sp.html
一方で、水と、野菜と、塩だけで美味しいスープもたしかにつくれるのだけど、そのときはなるべく水と塩をきれいなものにしたほうがよかった。水は濾過して、塩は島根県の海士町で取れる塩をつかっている。
こんなふうに、ぼくが「暮らし」を扱う仕事で、誰かにお話を聞いたり記事にしたりする度に、「話の強さ」が関係しにくいのがいいなとおもう。たとえば、インパクトとか、他にない感じとか、うーん、なくはないけど、ことさら派手でなくてもいい。
その人の「当たり前」が、他の人からすれば「面白い」に感じやすいから、誰に聞いても、何かしらのネタが出てくる。暮らしは生まれたときから始まって、生きている限りはつながっていくから、仕事より何よりも接触点が長いコンテンツであって、深掘りもしやすい。
で、その「面白さ」を感じられる人、ちいさな発見や喜びを「わぁ!」とおもえる人にとって、これは永遠にたのしめる話題なわけです。
なにより、暮らしなんていうものはそれぞれに、それぞれのかたちがあってよく、「みんなちがって、みんないい」の世界なので、否定のしようがない。「あなたの暮らしは間違ってる」という指摘があるとすれば、それじゃあ「正しい暮らし」はあるの?という。
そのときは「正しい暮らしは存在しないかもしれないけれど、あなたの暮らしは何かずれていると思うんです」くらいにしかいえず、これはほとんど宗教とか信条に近いので、否定するとへんな感じになる。戦争になる。やだやだ。
もちろん、ドラッグやアルコールがたっぷり介入していたり、他人の生命が脅かされたりという、そういうものに対してはよくないですよ。そういう話では、なくて。
えーと、ややこしく話したけど、鳥もも肉をマリネして成功したところから、こんなにふくらむとは思わなかったので、すみません、びっくりしています。
で、わかったと思うんですが、つまり土曜日は何にもしてなくて、家でずーっと仕事に振り回されておりました。原稿が2本納品できました。
今月がんばると、4月か5月には懐も温まる算段なので、そこではもっとインプットや余暇に時間を使いたいし、旅行もしたい。恋人を誘って、温泉にでもいきたい。
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