死ぬこと生きること、夜中の富士そばが食べられないこと
長くて濃い、3月31日の土曜日だった。
公私ともにお世話になった料理家さんが急逝され、いわゆる「偲ぶ会」が開かれたので足を運ぶ。
彼女は死期を悟った後、親族に「後悔するような人生は送ってこなかった」と告げたそうだ。その言い切りの良さも含めて、なんて「らしい」のだろう。ぼくは、どうか。どうすれば、そうできるのか。
今思えるのは、生きている限り、やっていて性に合うことで社会と接し、誰かに還元できるかもしれないことをする……なのかもしれないなぁ、と思う。ちょっとまだ、うまく言えない。
今年の正月、広島から彼女に電話していた。冷凍の牡蠣が1kg500円で特売されたのを目にして、何の気なしに必要か聞いてみたのだ。彼女はいつものまっすぐなトーンで「牡蠣は生を送ってくれるルートがあるからいらないかなー。あ、でも、昆布と一緒に水から火にかけて、お豆腐でも入れたら美味しいよ」と教えてくれたのだった。
彼女と話した最後の言葉で、最後のレシピになった。
偲ぶ会のあとは、もう15年来くらいになる友達の結婚祝い的な飲み会をささやかに浅草で。お嫁さんも隣席されて、どこへ行こうかなーと思ったものの、あまり形式張ってもということで水口食堂で洋食をアテに酒を飲む。ビジュアルからしてパンチ強めのミートソースがけのハンバーグが気に入ってくれたらしく、夫氏はお代わり、嫁氏は楽しそうに写真を撮っていた。
お嫁さんは全国でもすくない手強い患いをお待ちで、ざっくりいうと「人より痛みをものすごく感じてしまう」という厄介なものだった。
話を聞くだけで自分の身に置き換えることなど無理なくらいなのだけど、まったくそんなことを思わせずに、ふふふ、と笑うすてきな方だった。20代前半にして70代のような突き抜けた穏やかさすら感じた。
ぼくは、最近お気に入りである、かもしか道具店の「納豆バチ」の素晴らしさを力説したりする(後日これは結婚祝いに贈った)。今度はぼくの恋人もまじえて飲もう、という話がまとまって分かれる。予想できない組み合わせすぎて面白くて、ぼくは浮かれる。
池袋で、ぼくが義姉と義兄と慕うお二人が飲んでいるとLINEが入って、移動する。ダメ元で恋人も呼んだら来るというので、揃って向かう。
相変わらずなんの話をしたんだが怪しいものだけど、割と強めに「あっ、いいかも」と思ったことがスマホにメモしてあったので、あらためてうまくいくなら進めてみるつもりでいる。
飲み終えて、たしか時刻は3時だかで、みんなで連れ立って富士そばへ行く。ぼくは偲ぶ会から飲みっぱなしで、すでに起きながらにして頭痛がする二日酔いならぬ一日酔いな感じで、何も頼む気になれず、恋人が取り分けてくれた蕎麦を一口食べてギブする。
ぼくは風邪をひいても食欲減退しないタイプなので「食べられない」という久しぶりの体験に戸惑う。あ、食べられないときってこんなにツライんだ、自分の想像してる相手のツラさなんて、本当にほんとうにわからないものなんだな、と小さくおもう。
コロコロと笑っていたお嫁さんの姿がふいに浮かぶ。ぼくにできることは、共感とか慰めとかじゃなくて、ただ相手の許せる範囲で思い切り遊ぶことくらいしかできないのかもしれない。
尊敬する人が亡くなり、苦難を超えても生きる人がいて、いろんな方に支えてもらって、ぼくは今いる。死生観というより「生観」を考えてしまうような一日だった。
恋人に連れられて自宅へ帰る。布団を敷いてもらって、滑り落ちるように眠った。急に呼び出して、よくこんなに良くしてくれるな、この子。ありがとう。
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