物事がつまらないのは自分がつまらないから

火曜日から木曜日までの記憶は有るようで無い、というくらいに瞬いていて、目を閉じるときは眠るとき、開いているなら仕事、というくらいの半死半生で過ごしていく。

こんなふうにしたくないから日記をつけているのに、と思いながら、取り返すことも難しいのでまとめてしまう。

たしか水曜日、前々から約束していた飲み会で、祐天寺の「もつ焼き ばん」で飲む。相手は若き編集者的なる男子で、もっと真面目な話とかするかと思ってたんだけど、気づけばずっと恋バナをしていた。ぼくが始めたので、彼は合わせてくれたのかも。

彼は自分を「熱しやすくて冷めやすい」と自己評価していて、その浮き沈みのある感じを捉え損ねながら諦めている具合も感じた。

「相手といて、どこかのタイミングでつまらないって思ってしまう」というようなことを彼が言って、ぼくは「つまらないのは自分がつまらなくしてるからではないか」と、何杯目かのレモンサワーから降ってくる言葉を伝えていた。

ぼくも彼も、人がたくさんいるパーティが楽しめないタイプなのだけど、それは社交的で話せる人にとっては気づきと出会いの場だとすれば、つまらなくしてるのは自分自身になる。

何年か前に、英語が話せないのに北欧旅行をしたことがあった。現地の人たちのほとんどコミュニケーションがとれず、無言でいる時間が多かった。それは、ぼくが英語や現地語を使えれば回避できたわけで、なにも北欧の国々が悪いわけではない……ということにも近い。

世の中のことを「つまらない」と感じて手放すとき、そこには「面白がる」という自分の至らなさが同居するのではないか。それは持論であるけれども、特に編集者やライターなる職種を自認するなら尚更かもしれない。

彼が納得したかはさておき、もやもやしていたことが言語化できるのは嬉しい。ここのところ、眠るときが「諦め」ベースなので、「納得」に変えていきたい。3月の負担をまだ返せないままだ。よくない。ごめんなさい。

#日記 #エッセイ #コラム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?