ポジティブな石川啄木

あの時、そうだね、と言えていたら。

言葉は「そうだね」でも「ちがうんじゃないかな」でもいいのだけれど、もし他のことを口にしていたら未来は変わったかもしれない。そんな戯れを想うのはろくでもないときである。

スカイツリーの真下で焼き鳥を食べた。友人にソファとテーブルを譲った帰り道、明るい時間から店の外まで座席を用意した店があいていた。いい天気だったので、外の席でサッポロビールの赤星を、友人と3本ほど飲んだ。焼き鳥は期待以上、おつまみも美味しい。「伝次」は当たりの店だ。気分が良い。

恋人がしきりに「私のこと好き?」と聞くので、ぼくはその都度に「好きだよ」と答えるのだけど、恋人はうしなうという怖さをいつも感じているらしかった。だから聞いて確かめる。

ぼくが「うしなう」とひらがなで書いているのは江國香織の詩の影響だけれど、うしないかけているぼくを引き戻せるのであれば、何度でも確認すればいい。それを言い続けることは、ぼくにとってある種の愛情の表し方なのかもしれない。

友人と「30歳を超えてくると自分の不調の理由がわかりはじめるよね」という話をした。見えることが増えるのだ。たいがいにおいて男性の不調、特に精神面におけるぞわぞわした状態は、

1.睡眠不足
2.空腹
3.仕事のストレス
4.数日間は射精していない
5.爆弾低気圧

という、だいたいこの基本5箇条に当てはまるのではないかと落ち着いた。持病とか花粉とかもあるだろうけれど、自分が普段と異なる思考回路になっていると気づけた時に、まっさきに疑うリストみたいなものだ。逆にこれらがたいへんに充足されていると、調子は良くなるという話でもある。

恋人が「ゴールデンウィークにネイル変えようかな」と爪を見ながら言う。ネイルは他人のためではなく自分のため、常に見える手元がきれいだと自分の気持ちが上がるから、という理由を以前にヘアメイク職の方に聞いたのもあって、いいね、と賛同する。

「ネイルがきれいだと自分がいいんでしょう」と言うと、恋人は「手元見て、はぁ、がんばろうって思えるからねー」と返す。

「ほら。石川啄木みたいなもので」

ぼくは笑ってしまって、あれは厳しい労働者階級の歌ではと思うのだけど、恋人からすれば「頑張って働きているときに手を見る行為は同じ」というのだ。なるほど、恋人のほうが信条に寄り添っているかもしれない。

ネイルは武器であり、魔法であり、ポジティブな石川啄木的叙情なのだ。

#日記 #エッセイ #コラム

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