結婚とストロングゼロと生きる価値

友達づてに、元カノが結婚したことを聞いた。

結婚そのものも喜ばしいことだし、友達と元カノの関係性が続いていることもよかった。

ぼくは恋人ができると、割とすぐ友達を引き合わせることがあって、なんやかやでぼくと元カノの関係が事切れたあとでも、付き合いが良く継続していたりするのを聞くと、自分にも人生で何がしかの役割を担えたのかもしれなくて嬉しくなる。

ぼくを通じて出会えたこと、言い換えれば遠い点をぼくがつなぎ合わせられたことは、人生において提供できる価値としても良い部類には入るのではないかな、とおもう。

そして、それに喜びを覚えるのは、編集という仕事をしている自分にとっては、ひとつ歓迎する資質なのかもしれない。

余談だけど、結婚というのは、当人同士のものであるのだけれど、それを取り巻く関係性においても、ひとつの「区切り」となる。微弱な気がかり、あるいは無意識の夢物語に、ピリオドが打たれる。たぶん、そんな効用もどこかにある。

先日、みんなでいっぱいストロングゼロを飲む会をやった。その会はぼくを含むストロングゼロが好きすぎる編集者2名が、飲んだことのない人たちに向けて、その良さを語りつつ体験してもらうという趣旨であった。

会がはじまって2時間もすれば、ストロングゼロですっかり思考もストロングになっており、今まで思ってもなかったようなことがポンポンと口から飛び出る。

とりとめない会話も、記憶しておきたいような会話(覚えてない)も、いくつもあって、めちゃくちゃ楽しかった。まとめられたnoteがあるので貼っておく。

https://note.mu/ryh/n/n9fc274e5b6b3

振り返れば、これもストロングゼロなんて飲んだことのない人たちに、ぼくらを通じて「飲んでみる」という体験を提供できたという意味では、ぼくが生きている価値があったといえる。

結婚とストロングゼロを同列で語るな。と、お叱りを受けそうだが、昨今は「結婚するとかしないとか、それよりもただ愛してる」が胸を打つ時代であるから、ぼくも愛してることについて話をしたということで、お目こぼしをいただければ幸いです。

#日記 #コラム #エッセイ

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