中途採用で落ちて恨み節のメールをもらう

先週の水曜日には、大学の同窓生ふたりと久々に会う。ふたりとも職場も仕事も変わっていて、実に2年半ほど会っていなかったことがわかる。

ふたりの外見がそれほど変化がないようなので、ぼくまで大して変わりないように思うけれど、体重がぜんぜん増えている。ふたりは優しみで言葉にしなかったけれど。

Mさんはいま人事に関わっている。彼女の会社は中途採用がメイン。飲みの席なので「過去にあったすごい応募者」なんて話になり、強烈だったのは「落選者から恨み節のメールが来た」ということだった。

「恨み節?俺を見る目ないな!とか…?」
「お前のところなんてこっちから行く気ないよ!だって」

それは恨み節というより負け惜しみで、誰も幸せも改善もしないものだった。中途採用といえば、年齢は聞かなかったけれど、そこそこ20代30代を過ごしてきたであろうに、それほどの想いを込めなければやっておれなかったのかもしれない。大変なことだ。

擁護する余地は何もなさそうだけど、言葉をかける隙間があれば、転職活動より先にするべきことがたぶんその人にはあって、辞めたつもりで3日くらい、銭湯と自宅を往復し、ダラっとしたほうがいいとおもう。

方や、すごい転職者の列伝では「木工職人から絵本作家になり、さらにエンジニアになった」という歴戦もあるそうだ。たぶんその人は、自分の特性を知っていて、細やかに進める対象をどれにするかの違いでいけたんだろう。

これはつい最近のインタビューでも出た話で、聞いて納得したけれど、就職ではなく「就業」のほうが、おそらく今っぽい。あなたは何が得意で、何ならできそうか。その「何が」を見つめるほうが、会社選びよりもよほど大事なのかもしれない。

なんにせよ、恨み節のメールは、どうなのかしら。そこまで駆り立てるものはなにかしら。巡り巡って、人はつながっていくものだけれど。くわばら、と、知ったかぶりの言葉も口の端にのぼる。

#日記 #エッセイ #コラム

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