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クラシック演奏家のための「長谷川的プログラムノート論」②具体例編

さっそく第2弾を書いてみた。音楽教育学者の長谷川がプログラムノートを書く際に留意している事をあらかじめ公開しておくことで,学生から「ちょっとプログラムノート見てもらえませんか」と校正を依頼される際の僕の負担を減そうとするこのシリーズ(同じ事何度も説明するのめんどくさいので),学生以外の方にも比較的興味をもっていただけたようで嬉しい限りです。前回の記事を読んでない方はまずはそちらをどうぞ。

要するに,「プログラムノートでは練習していて気付いた曲のこだわりポイントを語れ,それがないならまだ書くな」ということであった。大学終わって友達と駅まで歩いてる時,今さらってる曲がいかにカッコ良くて綺麗で泣けるか,語りあった事あるでしょ?それをプログラムノートに書けばいいのである。何も語れないならそれは文章云々の前に曲との向き合い方が浅いので,音源聴きながら歌ってみたり,酒飲みながら楽譜見たり,全然違う曲をさらってみたり,とにかくいろんな方法で曲と関わってみましょう。

とはいえ,「曲に魅力は感じているんだけどどうしても文章書けないんですよ」という声が聞こえてきそうである。うーん…この「語りたい内容はあるのに言葉にできない」「そこまで出かかってるのに日本語にできない」という主張に対しては本当に色々と思うところがあるんですが(以下心の声:人間は言語で思考しているんだから少なくともプログラムノートを書くというコンテクストにおいては中身=言語なはずなのに言語化できないってつまり中身がないじゃんシンプルニキョクヘノムキアイカタガアサインジャナイデスカ…),そんなことを語ってもあまり建設的ではないので,今回は「曲の良さを言葉にする方法」にフォーカスして,実際の曲を分析しながら具体例を挙げて書いてみたいと思う。せっかくなので,ぱっと魅力を言語化しづらい曲で考えてみよう。例えば,デニゾフのアルトサキソフォンソナタの2楽章なんかどうでしょうか(デニゾフに失礼ですが)。2楽章だけやることなんてそうそうないと思うが,多くの方が魅力を語るのに戸惑うであろう「暗い感じの現代曲」を教材に考えてみたい。下のリンクは,ロシアの天才サキソフォン奏者ニキータ・ツィミン氏の演奏です。3分くらいなので,聴いたことがない方は一度聴いてみてください。

1.楽曲の構造上の特徴をピックアップする

多くのサキソフォン奏者は,この曲がフランスのサキソフォン奏者ジャン=マリ・ロンデックスに献呈された作品であること,そしてサキソフォンのための現代音楽として古典的な位置づけにある重要な作品であることくらいは把握しているだろう。もちろんこれらの情報は音楽史的に非常に重要で,演奏家が把握しておく価値はある。しかし,正直言ってお客さんにとっては比較的どうでもいい情報だ。「ロンデックスというフランス人サックス奏者」の存在を知っていようがいまいが,コンサートでの音楽経験の質はそんなに変わらないからだ。それに演奏家側も,「この曲ってさ,ロンデックスとのコラボでできたってところが最高だよな!」みたいに熱をもって語ることはあまりないだろう。作曲の経緯等の情報はうまく使わないのであれば基本的に「へぇ〜そうなんだ」で終わる知識であり,それをプログラムノートの軸にしてしまうと,読んだ感想が「で,何が言いたかったの…?」となってしまう。

となると,やはり曲の具体的な面白さに言及した文章を核にすることになるだろう。「リズミカルな掛け合いが楽しいんだよね」とか「遠くから聞こえてくるような儚い旋律がたまらなく泣けるんだよね」とか,そんな具合である。しかし問題は,デニゾフの2楽章みたいに「ここがいいんだよね」と熱く語りたくなる部分を見つけることが難しい場合である。本来そういう曲こそプログラムノートでお客さんをサポートしたいのだが,そもそも魅力を見つけることができない,という演奏家も多いだろう。そんな人のために,このnoteでは画期的な解決策を準備した。全く手も足もでないという人は,曲の構造上の特徴をとりあえず順次ピックアップしてみて下さい。全然難しくないです。試しに2楽章を曲の冒頭から全て言語化していってみよう。重複した内容を省いて列挙すれば,例えば以下のようになるだろう。

重音から始まる,5:4とかのリズム,短いフレーズが連続している,基本音量は小さい,espressivo,時々fpやアクセント,微分音,最大音量はf,変則的なトリル,結構後半でピアノ入ってくる,pppで終わる

意外と少ないですよね。ざっと見た感じこんなもんです。これ自体は難しくないはずだ。シンプルに事実をピックアップしていけば上のようなリストが出来上がる。

2.各イベントを解釈していく

次はピックアップされた事実としての音楽的なイベントを解釈の俎上にあげる。解釈と言うと「この音にデニゾフはどんな意味を込めたんだろう…」と迷宮入りしてしまう人もいるだろう。ここでまた超個人的な意見を言わせてもらうと,プログラムノート初心者にとって,解釈の初手はデニゾフの意図ではなくあなたの個人的な感想であるべきだ。はっきり言って,デニゾフの意図なんてロシア語で彼の書簡や資料を読むデニゾフ研究者でさえ分かるかどうか際どいものだ。にも関わらず,「この旋律には,作曲者の不遇な若手時代の苦しみと葛藤が込められている」みたいな,ものすごい考察をあっさりと書く学部生が結構いる。作曲者のプライベートと楽曲構造を結びつけるというのは非常に高度で複雑な研究者レベルの論考で,それをさらっと主張している文章を読むと,正直「…これほんとかな?」と思ってしまう。もちろん創作活動の根源に作曲者のプライベートな感情が横たわっている場合は往々にしてあるだろうし,それが楽曲の美質の根幹に据えられている可能性もある。しかし,そこに紙面の限られたプログラムノートで演奏家が言及するのは非常に難しい,ということである。それよりも,楽譜に書かれている事実に対するあなたの考えを書いたほうが無難だし,何より筋道の通った意志のある文章になりやすい。

では早速,「重音から始まる」を解釈してみよう。シンプルに感想を言葉にして欲しい。多くのサックス吹きの最初の感想は,「いきなり重音でしかもpかよ…吹きづれぇわ」ですよね。オクターブキー押したソとかでスポーンと気持ちよく始めさせてくれよって思いますよね。デニゾフさんどう考えても普通じゃないよ,吹く側の気持ちって考えたことあるんですかね,これだから現代作曲家は困るんだよ,云々…

しかし,この「普通じゃない」という気づきが解釈のヒントなのである。わざわざ特殊奏法で始められる冒頭って,誰が吹いたって安定感のある始まり方にはならない。つまり,冒頭は不安定さだったり緊張感だったりが演出されていると解釈されるわけである。

他にも「5:4とかのリズム」のせいで多くの音楽に見られるはずのビートが見えないな,つまり拍節感が曖昧になっているなぁと解釈されたり,短いフレーズが続くのでなんか切々と訴えかけてるみたいだなぁと思えたり。あと基本pなのに時々アクセントやfpがいきなり入ってるからびっくりするな,つまり音楽の進行が予想できない感じするなぁとか解釈できますよね。そう,事実に対して一言あなたの感想を加えるだけで,わりとそれらしい文章になるのである。それらを取捨選択しつついい感じにかっこつけながら並べていくと(ここは慣れと語彙力です),以下のような文章になる。

2楽章は緊張感のある重音から始まる。弱音によるレガートのフレーズが切々と奏でれられる一方で,アクセントや急なクレッシェンドを伴うフレーズが唐突に現れ予定調和な音楽進行を頑なに遮ろうとする。サキソフォンの独白の後にさりげなく入ってくるピアノのフレーズは,全体を通して弱音で奏でられる2楽章をさらなる静寂へと引き締める。ピアノパートは,音数が少ないにも関わらずむしろ雄弁に,この楽章の全体的な性格を語っているのである

太字になっているところは解釈で,そうでない部分は楽譜から読み取れる事実である。これだけでずいぶんそれっぽくなったのではないだろうか。ここで意外と大切なのが「一方で」といった接続詞である。この「一方で」という言葉は,「レガートのフレーズ」と「アクセントやクレッシェンドを伴うフレーズ」という2つの事実を,「対比」という関係性を付与した上で繋ぎ合わせている。つまり,2つの音楽的ベントは独立したものではなく,お互いに意味のある連続性をもっているんだよ,という重要な主張が「一方で」に込められているのである。接続詞ってめちゃくちゃ重要です。箇条書でピックアップされた事実に感想を加え,さらにそれらを接続詞で関係付けることで,文章の大きな流れができた。

3.どこまで語る?

音楽的イベントを抽出し,それに解釈を足していくことで,曲のガイドが出来上がった。では以上のような文章はプログラムノートとして適切なのだろうか。答えはイエスでありノーでもある。なぜなら,プログラムノートの最適解はターゲットとする客層によって変化するからだ。

例えば,デニゾフの2楽章を1度も聴いたことがないオタク気質のメガネ理系男子大学生をターゲットにする場合,このくらい詳細に曲の構造をなぞってあげれば彼にある種の納得感を持たせることができるかもしれない(結果的に曲に興味を持ってもらえるかもしれない)。「現代音楽作品などという抽象芸術に興味はありませんでしたが…客観的に構造を認識できればずいぶん面白いものですねぇニヤリ」となる可能性はまぁそれなりにあるだろう。

一方で,ある程度音楽経験があり現代音楽も割と好きな人間がこのプログラムノートを読むとどう思うだろうか。まさに僕はそんな感じだが,僕がコンサート会場でこの文章を読んだら「なるほどなぁ…でも…ちょっとうるさいです…」という感想をもちそうな気がする。なんていうか,これから起こる音楽的イベントがしっかりと時系列に並べられちゃってて,僕が自由に音楽を楽しむ余白があまり残されていない

当然ながら全ての人間にとって最適な文章なんて存在しない。もちろん特別な対象を想定しているのであればそれにフォーカスして書けば良い。「中学生にも分かるようなプログラムノートを」とか「今日は評論家が聴きに来てて後で記事を書くらしいので,演奏家のクレバーさが伝わる文章を」とか「理系男子大学生が次もコンサートに足を運びたくなるような文章を」等々。しかし多くのコンサートはそのような尖った対象を想定していないだろう。その場合は,「最も語りたいポイントはこれ!」という文章の山がひとつだけ見えてくるように調整することをお勧めする。これが無難な気がします。

先にあげた文章を改めて読み返してみると,「ピアノパートが音を加えることでむしろ曲全体の静けさが際立った」,という解釈が手前味噌ながらなかなか気に入ったので,今回はそこにフォーカスした文章に調整していこうと思う。早速下記の文章を見て欲しい。

2楽章はサキソフォンによる切々とした独白で始まる。弱音で奏でられる短いフレーズは,微分音や重音といった特殊奏法の効果と相まって,どこか不安定な様相を呈しながら移ろう。一方のピアノパートは楽章が終盤に差し掛かるまで決して音を発さない。静かに,存在感を持って奏されるピアノの短いフレーズは,響くたびに楽曲全体の静謐さを強調しているかのようだ。粛々たる独奏楽器と寡黙でありながら雄弁に語るピアノが同居するこの曲には,緩徐楽章に対するデニゾフの繊細な美意識が鮮やかに表面化していると言えるだろう。

お気づきかと思うが,「予定調和な音楽進行を拒否」とか「弱音レガートとアクセントの対比」とか,最初に見つけていたいくつかの音楽的イベントにはもはや触れていない。そのかわりに太字で示したまとめを加えることで,「サックスの独奏が作った世界観をピアノが少ない音数で見事にまとめる面白さを是非聴いてください」という「熱を持った語り」にフォーカスされた文章になったと思う。

4.プログラムノートの功罪

ここで,以上のようなプログラムノートを書くことの危うさについても触れておきたい。前回の記事でも触れたが,僕は基本的にプログラムノートなんていらないと思っている。なぜなら,音楽は言語によるロジックとは全く別の心身一元的な表現様式であり,本来的に言葉で解説することは不可能だからだ。一方で,言語のロジックは音楽とは違って非常に強力でわかりやすく,普段音楽のような特殊な表現様式に触れていない人にも容易にアピールできる力を持っている。そして,そのような言葉でのアピールが巧みになればなるほど,聴衆は音楽を言葉とそのロジックのみで捉えようとしてしまい,音そのものの質感を経験することから離れてしまう可能性があるのである。

簡単に言えば,言葉の力が強すぎると,お客さんはプログラムノート上に言語化されている表現だけに標準を合わせてしまい,それ以外の微妙なニュアンスに対して無頓着になってしまうかもしれない,ということだ。

特にこのnoteで紹介したような音楽の構造に着目して書かれたプログラムノートには,その危険性が大いに潜在していると言えるだろう。この点については,演奏家側はよくよく自覚しておいた方がいいと思う。

しかし,それでもこのようなプログラムノートが現代音楽アレルギーを持つお客さんの症状を緩和する可能性は大いにあり得るわけで,その意味では悪い事ばかりではないだろう。また,このようなプログラムノートを執筆する経験が,演奏者の楽曲理解を深めるという意義もある。例えば上述したピアノパートの捉え方なんて,昔僕がこの曲を演奏している時には思いつきもしなかった。このnoteの執筆を通して初めて発見した解釈であり,この捉え方を持っていれば実際の演奏もまた違ったものになったのではないかと思う。お客さんに提示するかどうかは置いておいて,自分の演奏を見つめ直すためにプログラムノートを書いてみる,というのも案外いいかもしれない。

5.まとめ

以上に,デニゾフのソナタを題材にプログラムノートを書く具体的な方法論について語ってみた。まとめれば①構造上の特徴をピックアップする,②それらに一言感想を添える,③山場を作って余計な文章を減らす,といった手順になる。もちろんこれが唯一の正解ではないし,上述したような危険性もあるわけなので,参考程度に読んでもらえたら幸いである。プログラムノート論についてはあと1つくらい書こうかなと思ってることがあるので(いきなり「2楽章は」で始まる文章もいかがなものかと思うので,前置きの書き方を解説したい),完成したあかつきにはそちらもよければ読んでください。今回も長文になってしまいました,最後までお付き合いいただいた方,ありがとうございました。

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