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ふるさとが生理的に無理になった話

私の母方の親族はどうやら、少しだけ土地やお金を持っていたらしい。

そんなことは耳に入れなかったお母さん。
のんきな私は、おじいちゃんもいくから、お母さんもこれでちょっとは寂しくなくなるかなあ なんてのんびりしていた。

結論からいうと、四十九日もたたないうちに相続放棄しろと祖母から連絡が来ることになる。


私は今まで、母方の実家が一般的に財産とよばれるものを持っていたことも知らなかったし、毎年結構な額の固定資産税を払っていたのもしらなかった。

役所で働いていた身内。

法律事務所で働いている友人。

取り寄せる書類、専門家としての考え方などの知見を分けてもらって、名寄帳(各土地について、評価額などが載ってる感じの書類)を取り寄せる。

銀行の残高証明を取り寄せたりなどする。おじいちゃんを肉に変えているようで不思議な気持ちだった。

それを祖父を取り囲んでいたみんなもやったんだなあと思うと、胸がすうすう、と心もとない気持ちになる。 


祖父が亡くなったのは去年の暮れ。

ああ、去年の桜を見た頃には2週間に1回くらいはさすがに電話してたなあ、おばあちゃん。おばさんも結婚祝いがてら私のところに遊びにきてくれるって言ってたね。言ってたのになあ。

納骨。墓場で叔父やら従兄弟やらに囲まれながら骨壷からおじいちゃんをむき出しの白にして、何の変哲もない袋にいれて、石の下、空洞にいれていく。

黒い服のみんな。うるさいからす。
なにもないし、なにもなかった。


実家に帰った時にもらっておいたツーショット。

仏頂面。1歳くらいのちんまい私の目線と合わせて、屈託なく笑って見えるまだ少し若さが残るおじいちゃん。今後起こりうる全てを内包してそんなふうに笑えていたのなら本当に聖人か、御仏なんじゃない?と思う。他人のことだから、わからないけど。

私の実家まで祖父母の家から軽トラで10分。
年に一度だけ田んぼ仕事を手伝ったお米。
新聞紙にくるんであるまだ泥のついたネギ。
あかいあかいふくふくのトマト。

おじいちゃんが持ってきてくれた沢山のおやさいをもう一度食べたいな。おいしかった。

もう私はきっとふるさとに住む事はない。ここまで筆をすすめてまざまざと実感させられる。

おじいちゃんの死からもらった経験と、お母さんからもらった物腰や人相だけ、それだけもらってどこにだって行きたい。



ここまでつらつらつらつらと思うことを書いた。見てくださった方ありがとうございます。

私が言える事は人生の終い際は本人・周囲の人間共にまじで人間の地力が出るのというのと、新幹線で2時間半くらい、なんだかんだ年に5回くらいは帰っていた人間でも故郷を生理的に無理になるってことはあるということです。

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