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僕の演劇。

芸人始めて20年。演劇始めて5年。なんの結果も残してなくて、数字や影響力をもってるわけでもないのに、たくさんの人を僕の表現に巻き込んでしまった。いつも申し訳ないと思って活動している。win-winの関係ならまだしも、僕ばかり得して関わってくれた人はなにも得をしていない。楽しいだけでは限界がくる。僕は知り合った素敵な人たちと、できることなら長く長く一緒にクリエイションしていきたい。でも、それは今の関係では叶わない。

例えば、金銭的な理由で泣く泣く演劇を辞めようとしている人がいたとして、僕が数字や影響力などをもっていれば救うことができる。今の僕は、ただ巻き込んでいるだけだ。

だから、今回はなんとか優勝したかった。この大会の優勝でなにが変わるわけでもないかもしれない。でも、少しはなにかが変わったと思う。賞金も渡せた。

今回は僕が主宰として感染症対策をしっかりとしていなかったせいです。全て僕の責任だと思います。そんな中、感染してしまったメンバーも、他のメンバーも苦しんでたり落ち込んでたりするのに、みんなを巻き込んでしまった主宰が弱音を吐いてしまうことは良くないとはわかっている。でも、今の整理されていない冷静ではない自分から出る言葉を書き記しておきたいし発信したい。

僕が初めて脚本を書いたのは2009年。吉本興行の芝居小屋である神保町花月で3月25日から30日に公演した。それから10本以上脚本を書き、吉本を退社。2017年に劇団エンニュイを旗揚げ。そこから本格的に演劇を始める。

お笑いでは、途中から売れたいという気持ちが焦りに変わり、いつの間にか自分のやりたいお笑いではなくなり、自分でもなにが好きなのかわからなくなっていた。でも、脚本を書くようになり、何か自分のやりたかったことを思い出した。そこからは自由にやり出したが時すでに遅くイメージを覆していくには時間と自信が必要だった。

その失敗を演劇ではしたくないという想いで、演劇ではやりたいことをとにかく表現している。人生もうそんなに長くないし後悔しないように。僕は分かりづらいけど、なんか響いて後々数日後くらいにふと理解できたりする作品が好きだ。演劇ではそういうものが自由に作れると思っていた。でも、意外と「もっとわかりやすくした方がいい」とか「構成ではじめの方でお客さんに伝わった方が良い」などというアドバイスを受ける。お笑いでたくさんネタを構成してきた。5分間や3分間、1分間の時だってあった。その短い時間の中でどうやって観客にわかりやすく伝えるかずっとやってきた。どう構成したら伝わるかなんて百も承知だ。どうせやるならギリギリのラインをつきたい。そんな簡単な構成で観客を誘導したくない。僕も思いつかなかった物語のルートに迷い込んで自分の感性で楽しんでほしい。全く別々の人生を歩んできた人たちを一斉に誘導しようとするなんて僕は面白いとは思わない。なんだかわからないけど、実は意外と根源的でわかりやすい。そんなモノを創りたい。どう楽しんでもらってもいい。ただ、心を揺さぶりたい。

僕が観てワクワクする表現は、そこに人がしっかり立っていて、ちゃんと呼吸している。そして、その呼吸はそれぞれ違って、心地良い呼吸もあれば、耳障りな呼吸もあり、全然聴こえてこない呼吸もある。最初は心地良い呼吸にだけ耳を傾けているが、徐々に他も気になり出し、最後には全ての呼吸が混ざり合い、全て自分の中にある呼吸だと気がつく。

舞台にちゃんと人が立っていれば、それがその人だろうと役だろうとどちらでもいい。舞台と客席が地続きなっている表現が好きだ。それは、もしかしたら演劇というジャンルではないのかもしれない。ライブだ。僕はライブを創っている。

エンニュイの公演は、どこまでが台詞でどこまでがアドリブかわからないとよく言われる。そんなことはどうでもいい。目の前で起きていることが真実だ。

僕の書いた台本や演出なんて、現実を生きてる演者(僕の舞台には俳優さん意外も出演するのであえて演者と書きます)は軽々と超えていく。超えた先に現実とフィクションに摩擦がおきイリュージョンがおきる。その日だけの魔法。大袈裟に言うわけではないが、演劇でこの現象が起きるのは僕が作った作品でしか見たことはない。

様々な公演を経て、2019年に福島県いわき総合高校の生徒たちと作った卒業公演で初めてイリュージョンを実感した。それまでのエンニュイでも変だ変だとは言われてきたが芸人からしたら普通の作り方だと思いよくわかっていなかった。演者のみなさんが上手いからだと思っていた。でも、いわきで作った作品はしっかりとエンニュイ色だった。エンニュイ色というか、そこにいる人達の色が出ることがエンニュイ色なのだろう。その年のかながわの短編演劇祭であと一票で優勝できたことも自信に繋がった。ずっと演劇というものがわからず感覚だけでやってきたから、まさか評価してもらえるとは思ってもみなかったのだ。

そこから色々と公演したが、僕の自由に発言し合える演出方法は人と人のぶつかりを生んでしまい上手くいかなくなる。作品は毎回良かったのだが、作る過程で僕もみんなも疲弊していった。その頃も今も「しっかりリーダーシップを取れ」と怒られることがある。でも、僕はリーダーシップは取りたいとは思わない。演出はスポーツで言う監督だからある程度引っ張っていったり、フォーメーション考えたり、コンディションとかモチベーションを考えなくてはいけないと思うが、お互いリスペクトし合って、自由にアイデアを言い合える空間でありたい。結局は、僕がそのいただいたアイデアのどれを使うか選択させてもらうのだが、その為にできるだけたくさんのアイデアがほしい。僕のアイデアだけでも面白いものは作れると思う。でも、それでは僕が観客として楽しくない。僕では考えつかない発想をクリエイションメンバーからもらう。その発想が面白いか面白くないかわからなくても、僕の中になくて大きく外れてなければ僕は採用する。そして、僕は包み隠さずアフタートークなどでメンバーの考えた演出を観客に伝える。そうすることによって、演者にも作品への責任感が湧いてくる。それと同時にこいつリーダーシップ取らないけど大丈夫か?と僕に対しての不安感なども少し湧いてきたりもする。その責任感と不安感がイリュージョンにつながる。全て整備されて、ただ物語に出演し役を演じるだけでは生まれないものがにゅるりと出てくる。演出家と演者が対等となり、演者が自立して人間として舞台に立つ。対等というかたまに下に見られてる時もあるくらいかも笑 その時はさすがにやりすぎたと思って塩梅を反省する。普通に寂しいし笑

こういうやり方をしていて感じるのは、面白いアイデアを持っていない人なんてこの世にはいないということ。みんな違う人生を歩んできて、違う体をもっていて、全員面白い。そして、演技が下手な人なんていない。普通に生きていたって話すのが下手な人はいる。変に整える方が不自然なのだ。僕はその人の個性を大切にしたい。台本に寄せてもらうのではなく、その人に台本が寄っていき、その中間で摩擦が起こり、これまたイリュージョンが生まれる。

別人を演じてもらうのではなく、違う世界線のパラレルワールドの自分を演じてもらっている感じ。

僕は稽古中に全員に向けてフィードバック(芸人はダメ出しというのだが今の演劇界でよろしくない言い方らしいから横文字で恥ずかしいけどこう言っている)するのが苦手だ。それぞれ考えて頭で咀嚼する速度も違うし、プライドがあって人前で言われても素直に聞き入れられない人だっている。だから全体へのこと以外はなるべる一対一で話をするようにしている。その人の癖や思考などをなるべくじっくりと見るようにしている。それが役にも繋がるし、コミュニケーションを円滑に進めるのにも役に立つ。でも、結局は他人であって、じっくり見たところでわかるわけはなくて、でも大切なのはわかろうとする努力だと思っている。本人からしたら余計なお世話かもだが、僕はそうやってみんなを自分の中に入れて辛さや楽しさなどを共有することで思いつくことがある。

ここまで読んでわかると思うが、そう、僕の作り方は効率的ではない。先のことも考えていない。その場その場の流れで作る。先のことを全く考えていないと言ったら嘘か。考えてはいるが演者と共有したくない。それは、作品の全体像もだ。僕が伝えるのではなく一緒にその時その時を体験したい。人生は先がわからないから必死で生きる。稽古も作品の物語に対してもそうありたい。僕が全ての答えを持っているのは面白くない。でも、最近は流石に怒られるのである程度ちゃんと伝えるようにしてます。本当は嫌だけど笑

このやり方で一緒にやることは最初は慣れるまで不安かもしれない。でも、確実に変な筋力はつく。演者力なのか、人間力なのかはわからないが。酔拳のような演技ができるようになる笑

ここまでで「おいおい全然今回の悔しさとか書かねーじゃねーか」とか思われているだろう。話はここからだ。

去年から12ヶ月公演というものをやっている。ワークショップで知り合ったメンバーと一本の演劇を12回作り変えて12回目で全てを混ぜ合わせたベスト盤を作るという企画だ。芸人が賞レースに向けて一本のネタを叩き続けるという文化を演劇でやってみる試みだ。

コロナ禍でもできるようにフットワーク軽く作っていくという目的もあった為、稽古日数は少なく、照明音響なども雇わずにライトに作っていく感じだった。この作り方だと今までのエンニュイのように構造から考えて掘り下げていく時間はない。6月の公演だけ少し時間を使ったが、稽古は上手く回らなかった。そんな中、11月公演と12月公演は、僕的には凄く楽しい創作だった。(メンバーはどう思っているかはわかりませんが)演劇始めて、唯一楽しかったのがいわきでの創作で、その時と同じくらい楽しくできた。本当は12ヶ月公演で演劇をやめようと思っていたが、11月12月公演を経て演劇熱が上がった。だから、あの時のメンバーは僕にとっては恩人だ。そして、今年2月の公演も本当に楽しくできて、今回の短編演劇アワードに繋がる。

11月12月を共にしたメンバーと、以前のエンニュイからお世話になっている勢登さんで構成された座組み。勢登さんとは2019年のかながわ短編演劇祭の時も出演してもらい共に悔しい思いをした。今回こそ優勝しましょうと誘った。忘れ物を取りに行くつもりだった。演目は『きく』という以前エンニュイで公演したものだ。母親を亡くしたばかりで、母親との実際のエピソードを入れた物語だ。主人公が話すエピソードは全て実話だった。想い入れのあるメンバーと想い入れのある台本。これで勝負をかけようと思った。今年40になるし、これで優勝できなかったらちょっと将来のこと考え直さないとなと考えながら背水の陣で挑んだ。

これまた稽古が楽しかった。元々台本があったこともあり、みんながアイデアを出す時間もあり、どんどん僕の手から離れて演者の作品になっていってワクワクした。面白い演出を出してくれたり、構成のことを言ってくれたりしながら、最後の方はみんながらそれぞれ細かい演技を入れていれていて感動した。12ヶ月公演では全然みんなの演技を引き出せていなかったかもしれない。良いところは多少引き出せたと思うが、俳優としての細かい演技、グルパリ君の狂気。みんな今まで観てきた感じよりもっともっと面白いのかよ!と実感して、改めて凄く良いメンバーとやらせてもらえてるんだなと思った。

みんなに優勝を体験させたいと思っていたのに、いつの間にか優勝へ連れて行ってもらっている感覚になった。場当たり前日の通し稽古でイリュージョンが軽く起きた感じがして、それはいわきの時と同じ肌触りで。涙が出そうなのを必死で我慢した。僕なんかの呼びかけで集まってくれて、優勝しないとギャラもでないような酷い状況の中、本気であそこまで最高の作品にしてくれたみんなの姿を見てたら嬉しさと、巻き込んでいる申し訳なさで涙腺が緩んだ。

そして、場当たりでKAATで通しをした。照明も良かったし、何よりKAATで堂々とやっている姿が頼もしくてカッコよくて、アベンジャーズ感というか実力者集団という感じだった。僕の作品を見てほしいというよりは、このみんなの勇姿を見て欲しかった。審査員の方々に、凄い演者がたくさんここにいますよと自慢したかった。

悔しいですがそれは叶いませんでした。でも、あのメンバーがこれから有名になっていくのは確かだと思います。有名になってもたまに変な演出家いたなぁって思い出してほしいなぁ。

母親が亡くなったあたりから全く良いことなくて、、いや、その前から良いことなんてなかったか、辛いことが多すぎて常に人生ハードモード。いつも自信がない僕ですが、今回は良いことがある気がして、いつも全く期待しないのに期待しすぎちゃいましたね。その分悲しいです。

でも、僕が主宰として感染症対策をしっかりしてなかったせいです。自分で自分の夢を潰してしまいました。今後はスタッフを増やし稽古場の環境を整えて改善していきます。

最初のほうにも書いたが周りの為にも自分の為にも僕は結果を残したい。いつチャンスが来てもいいように日々表現と向き合っていきます。

出演者全員がヤル気にならないと難しいかもですが、僕は今回やる予定だった演目を直ぐにでも公演したいです。どこか場所を借りて、みんなスケジュール難しいだろうから1日だけの公演として。全員を説得するのが難しそうですが、僕はやりたい。

↑僕のダメなところが出ましたね。本当にメンタルが弱い。誰かに労われたり、褒められたりしないと自我が保てなくなる。でも、普段から褒められることも労われることも少ないからたまに爆発する。良くないのですが、こればっかりは満たされない限り治りませんね。少しは強くなってきたのですが、今回はさすがに無理でした。

このツイートを見てたくさんの人からリプや、DM、LINEなどをいただきました。感謝です。生きてていいんだ。表現は少しでも届いてるんだと感じて自我を保てました。クレオパトラの昔の単独からずっと応援してくれている人たちもいて嬉しかったです。今は僕も桑原も必死で自分の人生をもがいているところですが、それを糧に必ず20周年単独ライブをやるので気長にお待ちください。そして、お笑い時から好きな方々にもエンニュイ観てほしいです。根本的にはやってることは変わりないですから。優しい世界を創りたい。心を揺さぶられるモノを創りたい。第一回目の単独ライブからずっと同じです。

挫けそうだったし、辞めようかとも考えましたが、一旦は頑張ってみます。どうせ僕にはもう演劇しか残ってませんし、なにか掴みかけてる感じもするので。

改めまして、楽しみにしてくださっていた方々申し訳あひませんでした。感染してしまったメンバーが無事完治することと、濃厚接触者になってしまった僕を含めたメンバーが発症しないことを祈ります。そして、みんなが動けるようになったら何かのカタチでこの作品を発表したい。今回エンニュイ目当てでチケット買ってしまっていた方々にもお詫びができるように。で、少しでも収益を得てメンバーに還元したい。

その為には、会場を借りるお金など必要です。30分の公演だし、スケジュール的にやれて一日だと思うので普通にやったら赤字です。まだメンバーに確認してないので、絶対にやれる保証はありませんが、僕は絶対にやりたいです。応援するよって方はサポート機能でカンパお願い致します。

あと、この記事を読んで僕の作り方やエンニュイの作品に興味が出た方は気軽に連絡してきてください。さすがに誰でもとはいかないので選考はあるかもですが、出演者でも演出助手でも制作でも照明でも舞台美術でもなんでもいいんで仲間さがしてます。

この悔しさをバネに本気で演劇やります。その為には仲間が足りてません。様々な人との出会いで未知なるヘンテコな作品を創りたいです。さっきまで落ち込んでたのに、このnoteを書いてる間にワクワクしてきました。

もう自分でも自分がわかりませんが、だからこそ自分にワクワクドキドキできます。

今日の感情は忘れません。

今後も一層の応援をよろしくお願いします。
おやすみなさい。


エンニュイが気になったら↓をチェック。YouTubeには全編無料公開の公演の映像などもありますよ。

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