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長谷川優貴プロデュース公演『口』解説と感想

僕のプロデュース公演 口
が全公演終了致しました。

https://yuki-hasegawa-produce.studio.design/

感想ツイートまとめ

https://togetter.com/li/1566107

「くち」と書いて「しかく」と読みます。

最近、言葉というものについて色々考えていて。こんな状況になって、文章でのやりとり多くなり、文字や言葉が浮遊しています。zoomなどでリモートで会話する時も上半身のみが映り、回線に乗った言葉が浮遊する。

そんな中、一昨年に僕の主宰する劇団「エンニュイ」で公演した第二回公演「 」という舞台のことを思い出しました。あの公演の内容が今の世の中に合っているし、どこか予言していたような内容だなと。

「 」がくっついて 口 になりました。くちという漢字なのに、僕らがしかくと読むと言えばしかくになってしまう。それくらい言葉というものは不確定なもの。

そこに昔、僕が所属しているお笑いコンビ「クレオパトラ」の二人芝居で公演した「村ノ人」という作品の内容を混ぜ合わせて作りました。

演者同士が近づかずに、話も交わらずに進む内容にしたいと思い、舞台上に携帯を置きzoomでやりとりすることなどを思いつきました。

↓一番はじめに書いたメモ


言葉に縛られているということ、そして四角い枠の外に出られないということをテーマにしたいと思いました。

とりあえず、最近感じたことや、思っていることを書き出していきました。

ZOOMの枠をイメージして、六つの部屋があって、それぞれそこで別々の物語を進めていたら面白いなと考えました。

演者の言葉で観客の見方を誘導していくのはどうだろう?と思いつき、だったら即興的な感じでやってしまおうではないかという考えにたどり着きました。

ゲーム的な考え方で、四角に囲まれ村のルールに縛られて発言する「村人」(プレイヤー)6人と、外から来て村のルール関係なく動ける「来訪者」、天(配信)からの言葉(コメント)だけを村人に伝える「シャーマン」(オペレーター)と言うふうに役職を分かれさせました。

会場の換気をする為にドアを開けておくなら、それも使えないかと考え、最後は出口を見つけて出ていくという結末を思いつきました。


稽古で色々な実験を繰り返して、どうやったら飽きずに観られるのか考えました。

そこで思い出したのがテレビゲームのイベントムービーです。自由に動けるクエストをクリアしていくと、ある一定の条件が揃うとイベントが発動して、ストーリーが進むムービーが見れるというゲームがよくあります。その仕組みを使って、ある台詞が来たらそこからはイベントが発動して、即興ではないちゃんとしたストーリーがムービーのように観れて、それが終わるとまたクエストモードのように自由に演者が動けるようになり、また発動したらストーリーが進むみたいな感覚で作りました。

まもるくんだけが、コロナとはっきり言っていて、くるみさんと押見さんは「あの病気」と言っています。この時期にあの病気と言われると勝手にコロナを想像しますが、二人が言っている病気は、言葉を亡くす病気のことです。器である身体から言葉が出ていき独り歩きをはじめて、浮遊しだす。器である人間にあった思考を持たない、無責任で信憑性もなにもない言葉達が浮遊しだす。この病気が流行っているという噂の話を二人はずっとしていたのです。

くるみさんは、山口さんと全く同じ状況だったというイメージです。

逆に、江益さんの村は思考というものがなく。みんなの言う「幸せ」というものになんとなく寄り添っていた。そこに来訪者が現れ、その村が変なことを知り、考えることができるようになる。そのことによって外への出口を探すようになる。出口なんてないのかもしれないのに。

考えずに部屋に閉じ籠ることが幸せな人もいるし、外へ出て色々なことを疑い自分の道を切り拓くことを幸せだと思う人もいる。

それを他人が幸せかどうか決めつけて言葉で縛る。幸せな人も、幸せではない人だと紹介されればそう見えるし、本人も幸せではないのかもしれないと疑心暗鬼になる。

そんなことを伝えたくて最後のシーンを作りました。

そして、吐き出された言葉は全て過去のもので現在の言葉は一瞬しかないということで、「これは過去である」という言葉で終わらせました。

考えも言葉も日々変わるから。

冒頭の「これは喜劇である」という台詞が配信のリアルタイム字幕変換では、「これは悲劇である」というふうになっていて、今回の内容を一番象徴しているなと感じました。


台詞というものを言わされる俳優。器として。途中、そこから即興の言葉も混ざり合う。しかし、それは発射台は台詞であって、キャラクターになりきっての言葉。そこから徐々に崩壊して、演者の素の言葉が舞台上に現れ、そのあとまた台詞の言葉が浮遊しはじめ、いつの間にか他の演者が演じていたキャクターの言葉までも器に入りだし、すべては崩壊していく。

そんな流れでした。膨大な言葉のデータが世界を崩壊させる。


今しかできない。今やるべき公演をやれたことに感謝します。

本当は5月のはじめに公演する予定で今年のはじめに会場を借りたのですが、コロナが流行り出してしまい5月は断念。しかし、キャンセルするなら全額支払いだったので金銭的に難しいということになり、日程をずらしてもらい公演しました。

それでも、告知などをする期間もなく。集客は危うい感じでした。口コミで最後には配信が伸びてくれて良かったですが、数十万の赤字です。

今後も創作活動を続けていく為に、応援してくださる方々はこのnoteのサポート機能でご支援いただけると嬉しいです。

今回は、オペレーターであり出演者の高畑の力を借りて、配信でも色々と新しいアプローチをしました。高畑君とは3月からずっと配信で実験を繰り返してきました。今回、その一旦の集大成が見せられたかなと。

配信上、リアルタイム字幕変換がおこなわれることにより、より一層内容が深まったし、奇跡的な変換により、新たな物語が生まれたりもしました。あと、コメントが反映されるという視聴者との一体感もだせて、劇場公演と配信公演を同時に意味のあるものにできたというのは凄いことだったのではないかと思います。

演劇をすることが難しくなってきています。でも、僕はそんな縛られる状況でこそ新しい面白いものが生まれるんじゃないかなと思います。

そして、こんな状況だからこそ、寄り添える物語や表現を作る使命が僕たちにはあるんじゃないかと勝手に思っています。

ありがとうございました。

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