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娘がスイミングを辞めたこと

まだ日本にいたときのこと。娘が3歳になり、初めての習い事としてスイミングを選んだ。私は泳ぐことが苦手だったこともあり、泳げるようになってほしいなというところからスタートした習い事だった。

年長の途中でバンコクへ移り住み、最初に探した習い事もスイミングだった。スイミングスクールに問い合わせをしたところ、当時住んでいた場所近くのインターナショナルスクールのプールでやっています、とお知らせいただき、すぐに体験レッスンを受けた。そのころには泳ぐことも大好きになっており、スイミングを続けることにした。

結局、バンコクにいる間ずっとそのプールへ足繁く通った。最初1年は子供用の浅いプールだったが、次の年からは水深2メートル以上の25mプールへのレッスンに移った。足がつかないのに大丈夫?と思ったが、最初は少し怖がっていたものの、本人はすぐに慣れて、4種目をあっという間に取得していった。

引っ越し後もそのプールには通い続ていたし、スイミングクラブの大会に出る機会が少しずつ増えた。コーチにも恵まれ、インターナショナルスクールの国際大会に出させていただくまでに泳ぎが成長した。小4の時にはインターナショナルスクールで開催された大きなスイミング大会で、Heat WinnerやBest9を取ることができた。

通っていたインターナショナルスクールでもスイミングクラブに所属し、こちらでもよいコーチに恵まれた。朝6時からの朝練に週2回、放課後に週1回+学校の授業で週1回、スイミングスクールで週1回。本帰国の最後の最後まで、泳いでいたし、開放的な空間でのびのびと泳いでいた。

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小6で帰国後、最初に探したのもスイミングスクールだった。しかしここで衝撃を受ける。なんて日本のスイミングスクールって混んでいるのだろう、、、と。バンコクでは1レッスンで2~3㎞、泳いでいた。1レーンに最大4~5人。対して日本は1レーン20人程度、1レッスンで1㎞泳ぐ程度。なんて贅沢な環境でスイミングをしていたのだろうと思った。結局、3つスクールを見学して、その中の1つのスイミングスクールに通い始めた。

中学受験で忙しくなってきた秋頃から「ママ、今日はスイミングをお休みしていい?」と度々言うようになってきた。タイミング悪く仕事中にかかってくるので「自分で休みの連絡して」と返すと、しぶしぶ弟を連れてスイミングへ行ったり、「行かない」と譲らず対立したりもした。

「もうスイミング、辞めてもいい?」

思い返すと冬頃には彼女の口から聞いていた、と思う。私は「中学に進んでも続けてほしい」と思っていたし、中学校を探すにあたり、水泳部やプールがあることも一つの要素だったからだ。最後の方には「退部届」を自分で持ち帰ってきた

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(写真は初めてダイビングをしたピピ島での一コマ)

コロナで3か月プールがお休みとなり、昨日ようやくスイミングクラブに「退会届」を出してきた。中学受験で彼女が選んだ進学先には水泳部がなかった。娘の気持ちは既に、中学校でどの部活に入るかに向かっていた。親の私の気持ちが着いて行っていなかったのだ。娘は言った。

「私はあのプールで自由に泳ぐことが好きだったの。それと仲良しのライバルがいたから。」

残念ながら、この2つの要素は今のスイミングスクールにはない。

たくさんのレースで、彼女の泳ぎを見ることはとても嬉しかった。インターナショナルスクール間の大会は「一番緊張する」と言っていた。受験の時、「あの大会に比べれば緊張しない」とも言っていた。初めて泳ぐプールでの大会で思うようにタイムが伸ばせなかったことがあった。泳ぎ終わったときの顔は最悪だった。でも次のレースは得意な平泳ぎで、最後の最後に追い上げて、最後のひとかきの差でHeat Winnerになった。あのレースは一番印象に残っている。

本当にたくさんのことを、彼女はスイミングから吸収したと思う。そして親の私たちもたくさんのことを学ばせていただいた。

始めるのは簡単だ。やめることは難しい。

特に子供のこととなると難しい。でもひとつ、やめることができた。今回はそこに寄り添わせてくれた。きっと次は彼女自身で始めて、辞めていくのだと思う。

私が退部届を出している間に、娘は髪を切ってきた。今週末は初めての登校日。とてもすっきりした笑顔で、次に向かっている。




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