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#10 明日のたりないふたり

久しぶりに泣いてしまった。というかいつぶりに泣いたのだろうか。5年前に留学してホームシックになんかなるわけねーだろと思ったてたけど、3ヶ月目で自然と涙が溢れてきた時以来だろうか。
それ以降は、泣く寸前まで行ったことは何度かあったがグッと堪えていた。
別に泣いたから素晴らしいってわけでもないし、泣くことを強要してくるのも違うと思う。
でもなんか自然と涙が溢れていた。
カラダの内側から何かが溢れ出ていた。

若ちゃんと山ちゃん(文字にして若林さん、山里さんって書くのも変だから普段呼んでる呼び方で書く)
がお互いにたりないものを自分と相手に重ねながら、削りながら進んでいく。

明日のたりないふたりを見る前に全部じゃないけど、今までのたりないふたりを見返してた。
最近の2人の感じを見てると、若ちゃんがなんだか大人っぽくなってて、山ちゃんがまだ必死に足掻いてる感じがしてた。
なんというか何をもって「差」というかわかんないけど、2人とも凄いという想いを持ちながらも、若ちゃんの方が良い意味で諦めがついてる感じがしてた。

でも明日のたりないふたりを見終わって正直に思ったのは、ふたりともまだ必死に足掻いてる。
毎日を必死に生きていた。
その矢印が昔はだいぶ内側に向いてたのかもしれないけど、今は基本が外側に向いてて、それを守るために内側の向いてる気がした。


一生たりないまま生きていく。
諦めてるわけじゃない。覚悟を決めていく。

でも僕には、「たりてる側」に行こうと必死に今までやって来たからこそ、「たりないまま生きていく」という覚悟になったように思った。

正直、今文章にまとめて書けるほど2人の生き様を受け止めきれてない。

「たりなまま生きていく」のか、
「たりてるふたりになるようにもがき続ける」のか、
「たりないものよりも、今あるたりてものに目を向けて生きていく」のか、
正直全て当てはまるし、はてはまらないと思う。

「このまま自分のスタイルをボロボロになった時しても貫き通す覚悟」
だけが本当にわかったことだと思う。

時に人は変化を求められる。
環境や世間はどんどん変わっていく。
それに適応できないものは淘汰されていく。
変化を受けれ入れたくない人は自分の村に居座る。
でも居座ったとしても分かりの人がどんどん変わってくし自分も歳を重ねて変化が出てくる。だから変わった自分を受け入れて毎日生きていく。

変わる・変わらない
の二元論で話すとややこしくなるし、白黒ハッキリつけるつもりもない。
どっちも大切だし、どっちも必要ない。

でも、都合の良いヘリコプターはない。
そしてその生き様こそが明日の、未来の、いつかの、
「たりなさ」を持った人々に受け継がれていく。

ふたりは「たりなさ」を卒業したわけじゃない。
覚悟を決めただけのように見えた。

自分自身も、
できないこと、向いてないことはたりてないから諦めちゃって得意なことを守って磨いていこうなんて思ってたけど、それができるのは
2人のように必死もがき続けた者にだけだ。

もう何が言いたいのかよくわかんないけど、
とにかく生きる力を2人からもらった。
これからも同じように悩みながらあーだこーだ言いながら生きていく。でも今までより少し足掻いてみようと思えた。

creepy nutsのサントラにもあるように、
「声を張り上げ 肩を震わせ 目を見開いて 
 赤い血を滾らせて 生々しく 生きていく 
 自分だけの生き方を」

今日は、めちゃくちゃ仕事忙しかったけど、クソしんどくてめちゃくちゃつかれたけど、
たぶん、なんか、忘れない日になる気がする。

「たりないふたり」
12年間お疲れ様でした。
生きる希望をありがとうございました。

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