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#18 なんでもない風な感じ

生きてるといろんな感情になる。
生きてるといろんな感覚になる。
1日にどのくらい感情と感覚の動きがあるんだろうか。
そしてどのくらいその動きを覚えてるだろうか。
さらにそれを言葉にしてるのはどのくらいなのだろうか。
さらにさらに言葉を受け取ってくれた人はどのくらいその機微を受け取ってくれてるんだろうか。

最近は心の動きを感じ取ることを忘れがちだ。
感じたことを自分の経験からどの感情か選んで、思考に落とし込むまでの流れをゆっくり取っていない気がする。
普段の生活の中で、人間関係がある時にささっと防衛反応で感覚から感情をすぐ「嫌いな奴」にカテゴリー分けする。
もしくは、「特に覚えておく必要のない感情」に流す。

スマホが流通して、イヤホンがBluetoothになって、常にデジタルが存在するのが当たり前になった。
デジタルな音や光がないと気まずい雰囲気になる。
目から得た光の情報だけで、感情が動くことはあるにはあるがスマホから得られるもので感動したことは少ない。

やはり人とのやりとりで心が動く。
感覚から感情に流れ、思考し、感動になる。
と思うのに、今書いているのはスマホという摩訶不思議。

スマホを否定しているわけではない。便利になって助かることばかりだし、依存していると言ってもいい。

ただ、感覚から感情の動きをちゃんと自分で選んでるのだろうかとふと思うことが最近よくある。

なんでもない日常の感じ。
ポエムを書くわけではないが、
風に吹かれて木の葉が揺れる音。
季節の変わり目を感じさせる何かよくわからない匂い。
オレンジに光る夕暮れ時の空の色。
人と人がなんて事のない挨拶をしてる声。

スマホとイヤホンでそれらを全部遮断してるような感覚に陥る。まあこれも一つの感覚なのだけど。

俺は感動したいのか。人と話したいのか。
いつも通り自分のことは1番自分がよくわかってて、
1番よくわかってない。
人の感情ってのは沢山あって常に矛盾してる。
「嬉しい」時も「悲しい」と感じることだってある。
「ムカつく」時も「ホッと」してる時だってある。

でもハッキさせないと安心できないのもまた人間だ。
「人間ってのは〜…」と語るやつが好きじゃないのにそう書いてる俺は何か。

アーティストとか作詞家とか表現者は、
この心の機微を感じ取って作品に昇華してるんだろう。
何でもない日常も初めて海外旅行に行った時みたいな感覚をたくさんもってるんだろう。それを自分と重ね合わせて言葉や音にしてるんだろう。すごいよな。

青銅さんの教えじゃないけど、
「人は心が動いた時の話が面白い」ってのは真理なのかも。

ぼーっとすること、少なくなったなぁ。

風な話でした。


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