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#14 アメーバののびしろ

誰かのため、自分のため。

誰かのためになるように生きなさい。自分のためだけに生きてはいけない。そう言われて育ってきた。

自分勝手が過ぎると白い目で見られた。あいつはわがままだと。確かにその時の自分はまだまだ未熟で(今もだが)周りの事などかんがえられていなかったのかもしれない。それでも自分が楽しく面白くすればまわりの人も楽しくなると勝手に思い込んでいた。

なんだか興奮してワクワクするようなその瞬間はそのことしか考えられないようなことが起きないかなといつも思っていた。だからこそ無理やりそれをはめ込んで作り出そうとしていた。パワーが有り余っているから周りを巻き込んでその没頭を常に探していた。

でも見つからなかった。これだ!!と思ってやっていても誰かがつまんなそうな目をしている。いやそれはやばいでしょ。と引いている。

「ああ、これが人間で、世の中で自分の思っていることは自分を理解しようとしてくれるひとにしか出しちゃいけないんだ」と感じた瞬間が、何回もあった。そのたびに自分の本音を言うことが少なくなり、白か黒かよりもグレーを極端に好むようになっていた。

小学生のころ、ずっと毎日サッカーばかりしていたので、たまに野球をやろうということになった。俺はピッチャーで本気で投げて楽しんでいた。ただ、どこからか「マジでやんなよ」と聞こえてきた。それは、耳で聞いたのかもしれないし目で見たのかもしれない。ただ、ハッキリと体感した。

当時の自分には衝撃で、かなりショックを受けた。でもなぜ本気で楽しんではいけないのか。本当にわからなかったのでみんなに聞いて回った。

「遊んでるときってさー手抜いてる?」

「まあね」と答えが返ってきた。この時から遊びでも周りの目を気にしながらみんながつまらなくならないようにしなきゃいけないことを学ぶと同時に没頭から遠ざかっていくようになった。

資本主義はという制度は、生命が地球に誕生した瞬間からもう決まっていたのかもしれない。弱肉強食で、食物連鎖のヒエラルキーで、適者生存は今も変わらないしより加速した。

そこに人の感情が入ったことでこんがらがった。弱肉強食なのに多数派がいつでもどこでも強い。どっちなんだよ。強くなって上に立てばいいのか。みんなが言ってる、世間が言ってることを忠実に守っていればいいのか。

どっちに転んでも誰も責任を取ってくれはしない。

比較と競争の中で一生生きていく定めになっている。

その中で同じ痛み、傷で血を流したやつだけが競争の中の休憩所としていてくれる。そいつらとの関わりが没頭に連れて行ってくれる。

没頭を共有できる奴がいるだけありがたい。
でもそれは明らかにマイノリティだ。だから外ではマジョリティに合わせて生きていく。その中でも俺はマイノリティだぞと思い込んでしまうことにも気をつけないと。人とは違う自分に酔いがちになってしまう。だからといって自分の感じ方を操作されるわけには行かない。これは自分を守るため。

うーん、いつもそうだけど、どっちにいい面悪い面があるしどちらが正しいなんてことはない。
バランスの問題だ。黒に近いグレーなのか白に近いグレーなのかでは大きく変わる。

あーだこーだ考えるやつはあっという間に取り残されて前向きでポジティブで天才な奴はどんどん先に進む。白か黒どっちでもいいけど、自分が思った色をはっきりと周りに伝えられる自信がある。


そういう意味で源さんと若ちゃんとのラジオが衝撃的だった。

アメーバタイム。

世界との境界線がなくなる瞬間。
それを共有し、共鳴しあってた。

ああ、そんな瞬間くるのかな。
来て欲しいな、共有したいな。

逆に没頭を待ち望んでた2人だからこそできたのかな。

楽しみだな。
これこらの競争社会の中を生き抜くための隠れ家ができるのが。

俺らまだ、のびしろしかなわ。

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