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母とごはん食べてテレビ見て 5月24日

実家に帰って何があるでもなく、私が特別何かをするわけでもないのだけれど、母とごはんを食べて、一緒になんてことはない時間を過ごすために、できるだけ顔を出している。
90歳になる母は普段、ひとりで生活をしている。
膝が悪いので買い物など歩いて出かけられない分、生協で食べたいものなどを注文し、簡単なものばかりだが料理もして、掃除や洗濯、ゴミ出しだって自分でやっている。すごいことだと娘は心から尊敬している。

だから私が行ってもさほどやることもこれといってないのだが、ちょっと気になる水回りの掃除など、行き届いていないところを母に見つからないようにコソコソ、サササッと掃除をしたり、つまづきそうなものをどかして動きやすいようにしたり。あくまでもさり気なく。

自分でやろうとしている母に対して、あれもこれも何でもやってしまうと、日々のハリを奪ってしまうような気もするから。ほどほどの塩梅で残しておくのがいいのかなと。
本当に一緒にごはんを食べてテレビを見て、お茶をしておしゃべりをして。
私にできることってそのくらいしかないのだ。何かをしてあげようだなんておこがましいのか…。自分の気持ちとの折り合いのつけ方が、いつも難しくて少し切ない。

実家では常につけっぱなしになっているテレビ。
自宅でテレビを見ないものだから逆に中毒症状?ずっと見続けて消すタイミングがわからなくなってしまう。でも、そうやって能動的に見ているテレビのお陰で、その間は余計な思考が停止していてそれはそれで悪くない。

朝の連ドラ『虎に翼』寅子と優三のやりとりを朝見て泣いて、昼の再放送でも同じところでまた泣いて。テレビは刺激が強い。連ドラの後には「あさイチ」が始まり、ゲストの草彅くんのトークを見ながら笑っていても、まだ連ドラの余韻を引きずっていた。母は慣れたもので、あさイチが終わった後のテレビ体操がルーティーンになっているらしく、私が思っているよりも軽快にこなしていた。たくましいな。ひとまず安心だ。

仏壇に向かい「また来ます」と、祖母と父にお線香をあげ、手を合わせて帰る。
1泊というほんのわずかな滞在中は、ほぼ家の中とせいぜい庭の様子を見回るだけという、ぽかんとそこだけ違う時空に迷い込んだような時を過ごした。庭には私が子供の頃から咲き続けているシャスターデイジーの花が満開。

5月24日(金)晴れ 蒸し暑い 
福島市も今日は29℃まで気温が上がったとか

上野までは最寄りの駅から電車に乗って1時間ほど。
その後は新幹線に乗れば郡山まで1時間半もあれば到着する。
千葉も東京も気温が上がって、早くも夏を思わせる蒸し暑さ。
なぜか無性に炭酸水が飲みたくて、上野駅で探したものの、飲みたいものが見つからず、結局缶ビールを買ってしまう。夕方だし、休日だし、良しとする。何もしていないけれど、ひと仕事終えた感でプシッと。
到着した郡山駅は半袖では少し肌寒く感じる涼しい風が吹いていた。