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vol.48 大寒「光のつぶ」1/20~2/3

 こよみを意識して生活するようになってから数年が経つ。それは三春で暮らし始めた時期とも重なっている。冬至が過ぎると徐々に陽が延び始め、小寒の寒の入りになったと思えば、最低気温が氷点下の日が続き、そして寒さが最も厳しい大寒を迎える。その年ごとに異常気象や気候変動による影響はあるものの、こよみと季節の移ろいは、不思議と足並みが揃ってハッとすることが度々ある。新年についても新暦のカレンダーを横目で見つつ、旧正月の方に重きを置くと、以前よりも「師走だから」とか「新年を迎えるにあたり」といった感覚がゆるやかになり、年末になって焦ることが減ったように思う。こよみの上での旧正月はもう少し先、2月の立春との頃となるわけで、年賀状は数年前から立春大吉はがきに代えた。「今年はどんな年にしようか」といった年頭の抱負も、雪景色にすっぽりと包まれた静かな時間の中、じっくり考える猶予を、神様から与えてもらったのだと都合よく解釈している。
 私は何せ慌てたり、せかされたりすることが苦手だ。バタバタと大晦日まで忙しく過ごしていたのに、元旦になったからといっていきなり新年の抱負がポンとは出てこない。いや、今まではそのときに頭に浮かんだことを抱負としていたし、それが大きくズレているわけではなかった。時間をかけたからといってそれよりもいい考えが浮かぶわけでもない。でももう少しじっくりと自分が本当に今年やりたいこと、さらにはその先の未来のために準備したいことを深く掘り下げて考えたい。たとえそれが人から見たら大したことではないとしてもだ。
 
 そんなことを考えている中で思い出したことがある。2017年に歴史民俗資料館で行われた三春町出身の建築家、大高正人氏の展示だ。三春町内には大高氏の建築がいくつかあるが、町から依頼のあった建造物の設計をしただけではなく、町づくりの基本構想そのものから深く関わっていたことを窺える興味深い内容だった。住民にとって何が必要か?三春らしさとは都会の真似事ではなく、町民みんなで考えて納得がいくまちづくりをすることが大事だという思想を貫かれたようだった。その考えの下、当時の町長が町民へ向けておそらく町の広報か何かに掲載された未来日記のような手紙も展示されていた。そこにはいわゆる都市計画といった壮大な構想や、難しいことなどは一切書かれていなくて、誰にでもわかる言葉で箇条書きにされていたものだった。「身の丈に合った」といったらしっくりくるのだろうか。三春町に移住をして1年足らずの頃にたまたま観た展示。そこには私たち夫婦が家やお店の移転先を三春町に探しに来た時に「きれいな町だなぁ」「やさしい町だなぁ」と感じた印象や、程の良いサイズ感を気に入った理由が凝縮されているようだった。
 さて。そんなことをふと思い出したからといって、私の抱負が町のために何かをといった、大志を抱いたわけではない。そんなことができる器の大きさがあれば良かったのだろうが、身の丈に合わないことを考えては、小さな器は簡単に溢れかえってしまうだろう。   
 粉雪が光のつぶのようにキラキラと舞うさまを、温かな部屋の中から眺めながら頭に浮かぶ抱負のようなもの。今年の畑には何の種を蒔いて育てようか。庭づくりをどうしようか。冬の間に作った凍み大根や柚餅子の味見もちょうどいい頃。お味噌の仕込みもそろそろ始めよう。福寿草が花を咲かせれば、フキノトウも顔を出し始め、てんぷらだ、ふき味噌だと春の訪れにはしゃぐ日々。そしてヨモギの若葉を摘んだらヨモギ餅でも作りましょうか。夏には夏野菜を使った料理や保存食の幅をもう少し広げたいし、今年の秋こそはタイミングを逃さず、たくあんづくりもやってみよう。家のことの他にもヨガやアロマテラピー、お習字に、もちろんお店のこともあって、身に余ることをしているようでもあるけれど、家のことはほとんどが恒例行事のように毎年繰り返されていることばかり。それでもその年その年での違いがあり、飽きることなく少しずつ少しずつ我が家の生活の一部になりつつあることが嬉しい。今、目の前にあるもの、手に負える範囲のことを存分に楽しめる自分でありたい。暮らしのひとつひとつはささやかなことだとしても、それらは窓のむこうでキラキラと舞う粉雪のような美しさがある。そしてその先には春の光のように輝く何かが待っているような気がしている。