見出し画像

留守番

8月19日 晴れ 最高気温35℃ 最低気温24℃
昨日から夫君が関西へ出張で留守をしている。
というわけで、猫二匹とヒトひとりの数日の生活。
何かが普段と大きく変わるわけではない。大きくは変わらないが、小さな違いは実はいくつもある。二人で分担していた家事、車の送り迎えをしてもらえれば(私はペーパードライバーなので)、なんてことはない荷物の運搬や天候に翻弄されることなどなど。ひとつひとつは些細なことだし、数日なのだからできないことは見て見ぬふりしてザーザー流してしまってもなんとかなる。というよりも大抵は流してしまえることばかりのはずだ。何かができずにたとえ部屋が荒れてしまったとしても怒るような夫君ではない。けれどもヒトひとりであることにどこかしっかりせねばという使命感?みたいなものがあるのか、張り切っている自分がいる。誰に頼まれているというのでもないのに。おまけに心配性ときているものだから細かなことが気にかかる。自分のことながら面倒くさい。

そんな私をよそに、スイとモクは当たり前だがいつもと変わることなくマイペース。「あのもう一人の、ほら!メガネをかけた…父さん!そうだ父さんはどうした!父さんは!」と訴える素振りがなくもないが、夫君が不在だということをちゃんとわかっているのかしら。
私がしっかりしていようがいまいが関係ない。ごはんが食べられて居心地の良い場所で眠ることができる。そして甘えたいときに甘えられればスイとモクはそれで十分なのだ。なんとシンプルで潔いのだろう。できることならば私もそちら側にいきたいよ。
一人暮らしの頃、私はどうしていたんだっけ?留守番も無ければ世話をすべき家族もいなかったのだからこんな心境になることもなかったのか。思い返してみたら、実家は商売をしていたから家に帰れば誰かしらがいて、そもそも留守番をしたという経験が子どもの頃になかったのだ。鍵がかかって家に入れなかったなんてことも覚えがない。食べる、寝る、遊ぶ、そして学校へ行く。スイとモクとさほど変わらないじゃないか。あの頃は家の鍵を持って小学校に来ていた同級生が大人びているようで、ちょっと羨ましく思ったけれど、今思えばずいぶんと自分はいろんなものから守られていたんだな。自分では気づくことのなかった安堵の中。そこで過ごせていたことを、この歳になって知るとは。シンプルな世界から、様々なものが絡み合うように複雑で難しくなってしまった(そうしてしまったのは自分なのだが)のはいつの頃からなのだろう。ザーザーと流してしまってもそこに残る大事なもの。それは一体何なのか、留守番をしながらよーくよーく考えてみたい。