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動植物や昆虫の名前が分からずに止まるのならば、名前なんてつけてしまえばいい。

自然あそびをしていると、「この虫の名前って何?」とか、「この花の名前って何?」などは子どもから良く聞かれます。
プロとして関わっている僕たちは、その名前や生態を知っていなくてはなりません。知らなければ、後日ちゃんと知識にしておく必要があります。でもそれはあくまでも僕たちみたいな仕事をしている人の話です。
子どもと関わる保護者や幼児施設の先生、学校の先生達は、そうである必要はないと僕は思っています。

「こうあるべき」の呪縛が大切な歩みを止めてしまう

子どもから動植物や昆虫などの名前を聞かれると、きっと知らないことの方が多いと思います。もちろん僕もまだ知らない物だらけです。その時に大人がよくとる行動はおおきく分けて3つあると思います。

・ごまかす
・違うことに流れを変えてしまう
・知らないことを伝える

どれを選択しても、「名前」をきっかけに子どもが持った対象物への興味という種から芽が出ずに腐ってしまう場合があります。
それが「大人は色々なことを知っているべき」「知っていないと恥ずかしい」という昔からある大人のこうあるべきという呪縛があるからです。この呪縛にかかったままこの種が生まれ出たタイミングに出会ってしまうと、大人も子どもも成長や学び、心底楽しい時間を過ごせるきっかけ全てが止まってしまいます。
まずは、「大人は色々なことを知っているべき」「知っていないと恥ずかしい」という呪縛から抜け出し、「大人も子どもも一緒に学ぶとお互い相互作用で世界が広がる」という考え方を持つことだと思います。知らない事があれば、知らないことで広がりを止めてしまうよりも一緒に答えを探したり、知るためのプロセスを考えてみることの方が何倍も双方にとって有意義な時間を過ごすことができるのです。

本質をどこに設定するか?

名前を知らないことをネガティブととるか?ポジティブととるか?ここが子ども達にとっても大人自身にとっても大きな二択になります。僕は子ども達や大人から名前を聞かれたときに、じつはすぐにその名前を教えてしまうことはめったしません。これはなぜか?
自然体験プログラムに参加すると、「あの赤い花の名前は●●●で、昔○○○だったんですよ」「へ〜そうなんだ」といった、その場ではとても満足度が高く、知識欲も満たされるプログラムがとても多いです。もちろんこれもありです。でも、こういったプログラムに参加後、数日もすれば心と身体に残るのは忘れかけた、教えてもらった知識だけです。
子どもにとって何が一番大切なのかを考えると、様々な視点がありますが、僕が大切にしているのは次の2つです。

・名前を知りたくなったら知る方法を教える
・「名前」を通して気になった対象物をとことん観察して、自分なりの発見や学びを得て経験を積み上げる

僕は子どもの「名前を知りたい」という知識欲は、単純に名前を知ることだけではなくてもっと広い意味なのではないかと感じています。
「魚を与えるのではなく、捕り方を教える」といった言葉がありますが、時には魚自体を与える必要があるケースもあります。ですのでもちろん”見極め”は必要です。

名前なんてつけてしまえばいい

もしも対象物の名前や特徴など、何も知らなかったら「知らない」ことを伝えることは大切です。そしてそこから「一緒に何者なのかを知ろう!」というふうに進めたらベストなのではないかと思います。
対象物から「色」「形」「触りごこち」「におい」「音」「ここからどう育つのか?と推測してみる」など”本物”から”実体験の答え”を手に入れて、とことん対象物を通して子ども、自分自身、子どもを通した自分と向き合ってみて欲しいなと思っています。
そこから得た答えはすべて正解であり、そして時間と共に流れて行ってしまう情報ではなくなります。そして、ここでやっと「名前なんてつけてしまえばいい」となるわけです。
つまり、トゲトゲしていて紫色の硬い植物だったら「紫トゲトゲ花」とか「カチコチツンツン紫」など、自分達が持っているリアルな体験から得た間違いない情報から名前を付けてしまった方が様々な新しい情報と学び、そして学習の道筋が見えてくるわけです。

だから、名前が分からなかったら勝手につけてしまえ!となるわけです。小さな公園にある小さな発見を題材に、自然を楽しんでみてください!


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