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【追悼】巨星、唐十郎さんのとろけるような笑顔。

 演劇界の巨星が墜ちた。
 私の演劇観は、唐十郎によって作られた。私は状況劇場の遅れてきた観客だけれども、七一年の『吸血姫』をかわきりに、『あれからのジョン・シルバー』『夜叉奇想』『二都物語』『唐版・滝の白糸』『腰巻おぼろ』『糸姫』と進んで見ていった。

水上音楽堂の思い出。
 上野の不忍池畔には、旧・水上音楽堂が建っていた。
 テントは、池に接した場所に建てられた。私が観たのは極寒の夜で、劇団員がいきなりざぶりざぶりと池に飛び込んでいった場面に圧倒された。当時は、歌舞伎の大向こうにならって、「唐!」「李!」と呼ばわる声もきっさき鋭く、日常から非日常へ連れ去られ、舞台と客席が一体になる体験をはじめて味わった。

 ガラス玉のような目、怪しいちょびひげを描いて、白いスーツにパナマ帽をかぶった有名なポートレートも、演劇集団の座長というよりは、数多く在籍した猛優、怪優、珍優を飼い慣らす見世物小屋の団長のようで、私は唐十郎という男に惚れたのだった。

演劇評論家として受けた厚情。
 私が二十五歳で演劇評論に手をそめたとき、人づてではあるが、「天才少年現る」と唐さんがほめているよと聞いた。過分の褒め言葉だったと思うが、思わず飛び跳ねた。実際に唐さんがそういったかどうかは、もう、伺うすべもない。
 けれども、このひと言があったから、演劇評論をそれから四十年あまり続けてこれた。まぎれもなく、唐さんは私の恩人である。
 節目となる時期には、必ず、気をくばってくださった。人生の転機にいたり、失意の淵にいる人間を温かい気持ちで受け入れてくださる人だった。恩返しもできずにこれまで来てしまった。悔いがのこっている。

 唐組となってからは、終演後、声を掛けられて、テントに残り車座で飲んだ。ひとりひとり唐さんが指名して、芝居の感想を語るならわしだった。月並みなことは御法度で、奇想にあふれた言葉が求められていた。私は、自分の番がいつくるかと怯えながら、言葉を探っていた。酔うどころのさわぎではないと思いつつ、あまりの緊張に身がふるえた。今思えば、これも批評家修業であり、かけがえのない時間であったとよくわかる。

扇田昭彦さんと唐さんと。
 初日に行くと、当時朝日新聞に在籍されていた演劇評論家、扇田昭彦さんの姿があった。唐十郎の伴走者として知られている。ふたりの結びつきは、他者の容喙を許さない。この車座になる前に、テントに隅で、唐さんと扇田さんは、低い声で話し合っていた。そこには信頼でむすばれた劇作家・演出家と批評家がいた。
 羨ましいとは思わなかったが、ふらりの関係を眩しく見た。その扇田さんは、二○一五年に、七十四歳で亡くなっている。このとき、この三年前に唐さんは、脳挫傷に倒れた。車椅子で弔問に行かれたと聞いたが、盟友の死をどんな気持ちで受け止めたのか、想像に余りある。

 正月、お年始に伺ったりしたこともある。思い出は限りないが、やはりテントのなかで牢名主のように君臨していた姿が忘れられない。新宿の花園神社、目黒の不動尊、雑司ヶ谷の鬼子母神、それぞれに紅テントのたたずまいがあり、メインのテント裏にある個室の楽屋テントに、開演前、挨拶に伺うと、ひとを蕩けさせるような笑顔で迎えてくれた。

唐さんに上野・浅草を案内していただいた。
 『下谷万年町物語』が上演されたのち、ふと思い立って、雑誌『テアトロ』のために取材をお願いした。上野駅前の喫茶店で待ちあわせて、下谷の生家や浅草六区を案内していただいた。ストリップ小屋のロック座の支配人が幼友達とのことで、訪ねていったが会えなかった。そのときの唐さんの残念そうな顔。私のために一夕を割いて頂いたご厚情が忘れられない。

 京都祇園の八坂公園にテントをしつらえたときには、なりゆきで、銭湯までご一緒した。麿赤児さんや大久保鷹さんもいらしたと思う。入湯料は一括して払ってあるとのことだった。
 春浅い夜に、テント芝居が終わった後、銭湯の熱いお湯につかる。こんな断片的な思い出が、奔流のように浮かび上がっては消える。

 たくさんの喜びをありがとうございました。

冒頭の写真は、『唐十郎と紅テントその一党 劇団状況劇場1964〜1975』(白川書院 1976年)より。キャプションによれば、『腰巻おぼろ・妖鯨篇』(75年)。唐が着ているのは、油揚げ250枚を縫い合わせた背広だったという。状況劇場の幻想的な側面がよくわかる。撮影は、井出情児。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。