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泥沼のやうな中に、忽然咲きいでた目もあやな一輪の花(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第十一回)

 明治四十二年、万太郎が入学した慶応の文科は、予科、本科を足しても学生はようやく七人か八人。屋根裏の物置のようなところが教室で、そこには三四人の本科の学生が薄暗い顔を寄せていた。

 当時の慶應はのちに経済学部となる理財科が看板であり、一年に在学していた水上瀧太郎の『永井荷風先生招待会』が伝えるように、「生徒の大部分が、月給取りになつて、後々重役になる事を夢見て居た」学校である。

 作家を志すものなど一人もいなかったのである。
 水上自身も、明治四十四年七月小説『山の手の子』が三田文学に掲載され、また「スバル」「新潮」に作品を発表し新進作家として注目されるが、アメリカ留学をへて、大正五年父の創立した保険会社明治生命に入社し、後年重役の地位についている。
 
 ある日学校で休みの時間に日向ぼっこをしていると、友達がきて、
「おい、ちょっと来い。ちょっと、あそこへ行って見ろよ」
と掲示板に連れていった。

 そこには、来年から文科に改革があり、森鴎外、上田敏を顧問に迎え、荷風、永井壮吉が先生になるという掲示がでていたのである。

 万太郎は、その興奮を「真実(ほんと)に私(わたくし)どもはそのときなんだか夢のやうな気がいたしました。----世間でもあんまり思ひがけないのに驚いたやうでしたが、内部(うち )のものでさへ、さういつても随分一時は驚きました。」と、『半生』(大正二年十一月執筆 発表誌未詳)のなかで、「驚き」を一文に二度も重ねて書いている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。