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番町の銀杏の残暑わすれめや(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二十二回)

 第五章 泉鏡花に入ります。写真は、鏡花の旧居です。この家で亡くなりました。

番町の銀杏の残暑わすれめや 万太郎

 何処(どこ)かで会(くわい)が打(ぶ)つかって、微酔機嫌(ほろよいきけん)で来(き)た万(まん)ちゃんは、怪(け)しからん、軍令(ぐんれい)を忘却(ぼうきやく)して、
「何(なん)です、此(こ)の一銭(いつせん)は-----あゝ、然(さ)う  。」
と両方(りやうほう)の肩(かた)と両袖(りやうそで)と一所(いつしよ)に一寸揺(ちよつとゆす)すって、内懐(うちぶところ)の紙入(かみいれ)から十円也(じふゑんなり)、やっぱり一銭(いつせん)を頂(いただ)いた。
(鏡花『九九九会小記』)

 明治四十四年、アメリカに留学のため旅立つとき、水上瀧太郎は万太郎にかけがえのない置きみやげを残した。
 泉鏡花との接点である。
 瀧太郎は小学生の頃から、鏡花の小説を愛誦していた。読むばかりではない。

 「いやしくも泉鏡花という署名のあるものなら、たとえ一行二行の、どんな零細なものでも、新聞に出たもの雑誌に出たものを問わず、『時間』と『根』にあかしてことごとくこれを尋つくした」
 蒐集家でもあった。(万太郎「水上瀧太郎君と泉鏡花先生」)

 日本を離れるにあたって、この仕事に空白ができることを瀧太郎は怖れた。
 万太郎と三田の書肆、福島屋に、留学のあいだ、鏡花の発表した文章を余すところなく蒐集してくれと頼んで、瀧太郎は明治四十五年九月二十八日、横浜から静岡丸に乗船し、アメリカに旅立ったのである。
 
 福島屋に頼んでおいたけれども、見落としがあるに違いない。
 これは気がつくまいと思えるものがあったら、注文をいれて送ってもらってくれと万太郎は頼まれたが、こいつはことだと考えた。
 引き受けた以上、て手落ちがあってはならない。
 四国、九州、朝鮮。どこの新聞雑誌に鏡花が筆をふるうか、容易には調べがつくものではない。

「これは先生にぢかにぶつかるに如くはないと思つた」。(前掲)
 
 鏡花に面識を得る大義名分が、瀧太郎の依頼によって与えられたのである。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。