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【劇評215】井上ひさし『日本人のへそ』。すべてを笑い飛ばす覚悟。

 作家は処女作に向けて成長するという。

 世に出るきっかけとなった作品には、のちに書くモチーフやテーマがすべて埋蔵されているとの考えに基づいている。あるいはこうも言いかえることができる。あやゆる表現者は、同じモチーフやテーマを繰り返し書き続ける。

 井上ひさしによる演劇界への本格的なデビュー作『日本人のへそ』(栗山民也演出)には、その輝かしい資質がふんだんに込められている。
 東北から東京へ移住したときの言葉の齟齬、吃音の背景にある人間の無意識、階級社会をよじのぼるための苦闘、人間のなかに深く根ざしている差別。あらゆる事象は、戯画化しうるし、笑いの対象ととなると見定める覚悟。

 この作品を観ていると、井上ひさしという稀代の表現者が、自らの出自や体験をいかに笑い飛ばし、ある種の苦さを噛みしめているかがよくわかる。

 今回の舞台は、主人公となるヘレンに小池栄子、会社員に井上芳雄を配して、観客の前で演じることを喜びとし、人生とした俳優を批評的に描いている。観られることの愉悦は、自己愛へと繋がる。ただ、舞台俳優の資質に恵まれた人間は、この危うい罠をよく生き延びるのだと感じさせた。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。