【劇評154】『風の谷のナウシカ』 昼の部(上) 菊之助の無念。
突然の事故が菊之助を襲った。
新橋演舞場の『風の谷のナウシカ』は六日に初日を開けた。
すでに報道されているように、八日の昼の部の第三幕、幕切れに事故がおきた。ナウシカを演じる菊之助が、不慮の事故にあって左肘を骨折、夜の部は中止となった。
翌、九日昼の部からは、左腕を固定したまま、演出を一部変えて舞台に復帰した。
私自身は、十二日の昼の部、夜の部を通して観た。
六日の初日も通して見た若い友人と劇場で会った。彼女によると、昼の部に限っても、演出は現行とは、かなり異なっていたようだ。
振り落としや振りかぶせのような歌舞伎演出が整理されたこと。
菊之助による立廻りや宙乗りが削られたこと。
役者にとって、こうした見せ場を身体の故障によって小気味よく演じられないのは、さぞ辛いことだろうと思う。
しかし、こうした歌舞伎的なスペクタクルを欠いたために、逆に得たものも大きかったのではないか。
失ったものもあれば、引き換えに得るものもある。人生も舞台もうまくできている。
昼の部は、宮崎駿による原作七巻本をあたると、ほぼ第三巻までに相当する。
原作の漫画だけで一千六百万冊が売れたナウシカである。
ナウシカの人物論は、読者それぞれによって違うのはいうまでもない。
私の理解するところでは、大規模な戦闘に巻き込まれるまでのナウシカは、粘菌類を含めた植物や民草への慈しみにあふれている。決して、戦闘や殺戮、血を流すことを好んではいない。だとすると、歌舞伎のスペクタクル、特に立廻りは、ナウシカ本来の性格と矛盾するきらいがあった。
また、メーヴェに乗ってのフライングは、漫画だから重力の制約とは無縁だ。しかも、その細部を描ききる必要はない。けれど、舞台化したとたんに、重力の制約は重くのしかかり、道具としての精度やリアリティも問われることになる。ナウシカの熱烈な愛好者を納得させるのは、むずかしい。
今回、昼の部の立廻りとフライングを欠いたことによって、かえってナウシカの不戦の心情があきらかになった。
菊之助が左腕をぎこちなく使うときに、優しく慎重なナウシカの性格が強く出る。
そのために、歌舞伎の役柄でいえば「女武道」に相当する七之助のクシュナとの対比が鮮明になったのである。
序幕から書いていく。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。