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妹を失つた。祖母にわかれた。恋愛に失敗した。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二十九回)

 万太郎は『かれは』(昭和三年一月、『新潮』)のなかで、「暗黒の時代」について、次のように書き記している。

「二十六の春から三十の秋までかれは暗黒(旧字)時代をすごした。かれはその五年のあひだにあつて妹を失つた。祖母にわかれた。恋愛に失敗した。不測の病をえて死にはぐつた。火事にあつてまるやけになつた。」

 大正七年二月、三筋町の家を焼け出されて禄郎を頼ったことは、既に鏡花の章でふれた。
 翌、三月、当時、明治生命大阪支店に勤務していた水上瀧太郎を訪ねている。瀧太郎の小説『友情』は、この折りの万太郎の行動を写している。万太郎じしんが「暗黒時代」と呼ぶ時期の生活振りがどうであったのかを知るてがかりになる。

 瀧太郎の『友情』では、万太郎を思わせる新進小説家の松浦欣一郎は、放縦で無責任のかぎりをつくす。
 将来を相談したい、大阪を訪ねると共通の友人を通して知らせてきたまま、本人からは何の便りもよこさない。
 電報がようやくきて、駅に迎えに出てみると、すでにふたりの取り巻きに囲まれており、そのまま、ともにお茶屋に連れられていく。
 次の日も酒浸りで、ゆっくり話す機会もない。芸者を相手に火事の話をたくみな話術で聞かせている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。