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【劇評243】包容力のある菊五郎の工藤。父の教えを愚直に守る巳之助。そして、千尋の谷を上がってきた千之助。

 九月の半ば、帯状疱疹という病気に罹患した。
 発熱と激痛に襲われて、一週間はほぼ寝たきりで過ごした。そののちも、患部の治りが遅く、毎週皮膚科に通った。また、困ったことに、鈍痛と電気が走ったような痛みが残ったので、二種類の強い痛み止めが手放せなくなった。劇場通いもままならず、厳しく辛い日々が続いていた。

 歌舞伎座も十月はなんとか痛みを押して観た。
 十一月になっても痛みは治まらない。
 困ったことに、強い痛み止めは、眠気を誘う。十一月吉例顔見世大歌舞伎の第二部は、六日に観たが、「対面」の途中から、激しい眠気のために記憶が途切れている。幸い「連獅子は」は、なんとか通して観ることができた。

 このため、劇評を書く自信が持てない日々が続いた。次に第二部を観たのは、十六日、ある番頭さんの世話になって、満員御礼の切符を手配してもらい、ようやく劇場にふたたび訪れた。

 痛み止めを最小にとどめて、ようやく観た。これで、劇評が書けると思うと、嬉しさがこみ上げてきた。こんな気持ちになるのは、劇評を書き始めて三〇年以上経つが、はじめてかもしれない。

 歌舞伎座第二部は、菊五郎の「対面」である。融通無碍な曾我狂言であるが、今回は、十代目坂東三津五郎追善狂言の角書きがついた。そのため、曾我五郎時致には、遺子の巳之助が抜擢され、時蔵の曾我十郎祐成と対になった。

 この狂言でもっとも重要なのは、いうまでもなく、座頭が勤める工藤左衛門祐経である。
 もちろん、今回は菊五郎が勤めたわけだけれども、この工藤が素晴らしい磁場を作っている。上段に端座して、周囲を睥睨する菊五郎は、「一﨟職」として征夷大将軍頼朝に引き立てられた武士の誇りと威厳に満ち満ちている。
 近年の記録を辿ってみても、卓越した工藤を観た記憶がない。
 平成初期にまでさかのぼれば、十二代目團十郎、五代目富十郎の舞台の立派なが浮かぶ。平成十四年五月歌舞伎座では、十代目三津五郎が勤めているが、やはり役と釣り合っていないのは、隠しようもなかった。

 なぜ、このような昔の話を書き始めたかというと、菊五郎の工藤は、平成二十九年五月に続いて二度目に過ぎないからである。
 つまり、菊五郎はある年齢に達して、ようやく工藤を勤めた。それは、単に台詞回しの巧さや、作り上げられた貫目では、到底、成立させることのできない座頭役だとよくわかっていたからだと思う。

 さて、今回の工藤は、はじめ君臨する総奉行、つまりはすべての取り巻きを従える人として現れ、工藤を父の敵とつけ狙う五郎十郎の登場にも動じたりはせず、やがて、時節を待てと、五郎を押しとどめて、狩場の切手を投げ与える。
 重い役目が終わった暁には、敵を討てば良い。
「きっと恨みを晴らせよ兄弟」
 に懐の深さがある。王者の風格とともに、包容力が出た。
 すべての困難を引き受けて、役目を専一に務めようとする人間の大きさと優しさが見て取れたのである。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。