すぐれた演出は、凡庸な劇作よりも、はるかに寿命が長い。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二回)
久保田万太郎の名が、頭の隅から離れなくなった。気を配っていると、歌舞伎や新派で、万太郎演出と銘打った舞台を、たびたび見かけるようになった。
杉村春子が生涯演じ続けた『女の一生』にも、万太郎の演出が部分的に残っている。
彼の書いた戯曲は、ごくまれにしか上演されないが、演出は生き残っている。故人であっても、芝居の世界では、演出者の名をそのまま残す習慣があるのだった。
文学とは異なり、テキストに残らない舞台表現は、はかない。
どれほど名舞台であろうとも、いったん幕が閉じてしまえば、跡形もない。戯曲としてテキストが残る劇作家とくらべると、演出家は、後世に残りにくい仕事だと思いこんでいた。
しかし、すぐれた演出は、凡庸な劇作よりも、はるかに寿命が長いのではないかと考えを改めた。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。