【劇評249】仁左衛門の知盛。一世一代の哀しみ。
仁左衛門が一世一代で『義経千本桜』の「渡海屋」「大物浦」を勤めた。
確か、仁左衛門は、『絵本合法衢』と『女殺油地獄』も、これきりで生涯演じないとする「一世一代」として上演している。まだまだ惜しいと思うが、役者にしかわからない辛さ、苦しさもあるのだろう。余力を残して、精一杯の舞台を観客の記憶に刻みたい、そんな思いが伝わってきた。
さて、二月大歌舞伎、第二部は、『春調娘七草』で幕を開けた。梅枝の曾我十郎、千之助の静御前、萬太郎の曾我五郎の配役で、いずれも初々しく、春の訪れを待つ今の気分にふさわしい。十郎、五郎は、『対面』や『助六』のように劇の骨格があって、その役が生きる。舞踊劇のなかで、十郎、五郎、静御前の存在を見せるには、型の確かさが求められ、意外に経験がものをいう世界なのだと改めて思った。この意欲溢れる三人が、十年後また顔を揃えたら、さぞ立派な『春調娘七草』になるだろうと思わせた。
さて、仁左衛門の知盛である。
「渡海屋」での銀平としての出から、荒くれ者を束ねる力量を見せる。ところが、荷をつくっている船頭たちが、気の荒い様子をみせないがために、せっかくの大きさも、のれんに腕押しになってしまっている。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。