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水もしたたる色気。 篠井英介 讃

 大輪の薔薇、しかも深紅の薔薇を見ているようだった。

 篠井さんの舞台を初めて見たときの印象である。記憶をたどってみると、一九八七年に新宿にあったタイニーアリスで見た『いろは四谷怪談』だった。
 私の記憶では、篠井さんはこのとき、女方ではなく、立役の民谷伊右衛門を勤めていたように思う。あるいはその日によって、演じる役が代わっていた可能性もあるけれど、今となっては確かめようがないのが残念だ。

 歌舞伎の『東海道四谷怪談』では、「浪宅の場」の伊右衛門は、五分むしりの御家人髷。黒襟をかけた藍弁慶の着付とされているが、このときも、扮装は歌舞伎にならっていたように思う。水もしたたるような色気とは、これかと、長身を生かした舞台姿にほれぼれとした。

 あれから三十六年、篠井さんは現代演劇の女方を命懸けで追求してきた。
 そのなかでも三島由紀夫の『サド侯爵夫人』のルネ役やテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のブランチ役は、蠱惑的な魅力にあふれていた。
 どちらの役も一筋縄ではいかぬ複雑な内面をかかえている。篠井さんは、その仁と柄を生かして、内面の深さ、そして立ち姿の美しさで際立っていた。

 数えるほどだけれど、プライベートで会う機会にも恵まれた。

 忘れられないのは、富山県利賀村で国際演劇祭が行われたとき、キャンプ場で夜遅くまで話したときの思い出だ。当時、遊◎機械/全自動シアタターの高泉淳子さんや蔭山泰さんも、一緒だった。
 篠井さんが、幼い頃から日本舞踊を本格的に学んで、宗家藤間流で、六世藤間勘十郎師(二世勘祖)の薫陶を受けた話を伺った。勘十郎師、最後の舞台となった清元『四季三番叟』についても聞いた。なるほど、篠井さんの女方を支えているのは、日舞なのだと納得させられた。

 日本舞踊は一見、優雅に見えるけれど、実は体幹がしっかりしているのが、よい踊り手の条件だと思う。鍛え上げられた肉体、特に下半身の筋力が、ぶれない所作に欠かせない。篠井さんは、日舞で教わった財産をもって現代演劇の世界にきてくれたから、独自の領域を開くことができたのだろう。

 けれども、歌舞伎という制度と様式に守られた女方とは、また違った難しさがあったろうと思う。娘役、女房役、傾城、悪婆など、役柄の類型が定まっており、型のある歌舞伎の女方の修業は、年代に応じて道筋がついている。けれども、現代演劇では、ひとつひとつの作品に応じて、じぶんなりの演技を組み立て、追求しなければならなかったろう。

 その並々ならぬ努力を、篠井さんは外に見せない。白鳥が水面下の足を見せないように、あくまで優雅に舞台を生きてきた。
 『サド侯爵夫人』のルネについて、「本当に素晴らしかったです」と感想を伝えたら、「悪目立ちしていなかった?」とざっくばらんに訊かれた。「そんなことありません」と応えたのを覚えている。 
 
 熱演がそのまま好演にならない、女方のむずかしさをよく知っている人なのだな、きっと大成するだろうなとそのとき思った。先日、イキウメの『人魂を届けに』の山鳥役を見て、その大きくて、強い芸境に打たれた。「篠井さん、ついにここまできたのですね」と伝えたくなった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。