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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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2023年4月の記事一覧

【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

 代表作ではなく、口上から追悼を書き始めることをお許しいただきたい。
 襲名や追善の口上で、左團次さんが参加されると聞くやいなや、いったいどんな暴露話やブラックジョークの矢が放たれるか、楽しみでならなかった。

 なかでも、抱腹絶倒というよりは、一瞬凍るような気にさせるのが、左團次さんの真骨頂だった。八十助さんが十代目三津五郎襲名の席、私が聞いたのは、「金も女もわしゃいらぬ。せめても少し背がほしい

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十二代目市川團十郎 追悼文 2013年2月3日歿

十二代目市川團十郎 追悼文 2013年2月3日歿

 巨星墜つという言葉がふさわしい。歌舞伎界を代表する役者が、まさしく円熟期に失われたことは重大な損失で、目の前が暗くなる。

 十二代目市川團十郎は、十一代目の実子で、昭和二十一年に生まれた。美貌で知られた父の芸を受け継ぐ間もなく、昭和四十年に高校生で父を失っている。菊之助(現・七代目菊五郞)故・辰之助(三代目松緑を追贈)とともに三之助と呼ばれたが、若年にして後ろ盾がいなくなった当時、新之助の苦労

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十代目坂東三津五郎追悼文 2015年2月21日歿

十代目坂東三津五郎追悼文 2015年2月21日歿

 二月二十一日の夕方、新聞社から電話があり訃報を知ってから、しばらく呆然として何も手がつかなかった。こんな日が来るとは思わなかった。翌日になって青山のご自宅に弔問に伺い、最後のお別れをした。稽古場の舞台に横たわった三津五郎さんは、穏やかな顔で眠っているようだった。これからは、空の向こうで、好きな酒も煙草も存分に楽しめますね。話しかけたら、胸が詰まった。

 三津五郎さんから話を伺い、聞書きの本を二

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中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

 歌舞伎を愛してやまない人だった。歌舞伎が演劇の中心にあることを、信じ続けた人だった。その願いを生涯を賭けて全力疾走で実現したにもかかわらず、急に病んで、そして逝った。

 五代目中村勘九郎は、天才的な子役として出発した。昭和四十四年、十三歳のとき父十七代目勘三郞と踊った『連獅子』で圧倒的な存在感を見せ頭角を現した。二十代前半には『船弁慶』『春興鏡獅子』と、祖父六代目尾上菊五郎ゆかりの演目を早くも

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