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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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#藤田俊太郎

【劇評335】ミージカルの最前線。三浦透子の深く、悲しい演技と歌唱。人間の心の闇を描いて、見逃せない『VIOLET』。

 傷痕は、誰のこころにも刻まれている。  藤田俊太郎演出の『VIOLET』(ジニーン。テソーリ音楽 ブライアン・クロウリー脚本・歌詞 ドリス・ベイツ原作 芝田未希翻訳・訳詞)は、二○一九年、ロンドンのオフ・ウェストエンドで初演された。二二年二は日本でも初演されたけれど、コロナ禍のために、ごく短期間の公演にとどまった。  今回、満を持して再演されるにあたって、主役のヴァイオレットは、三浦透子と屋比久知奈のふたりで、ダブルキャストを組んだ。  この作品は、一九六十年代、人種差

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【劇評321】女優六人で演じられる『東京ローズ』は常識を疑う意欲作となった

 新国立劇場が、フルオーディションによるミュージカル『東京ローズ』を上演した。スウィングをふくめ七名の女優のみを選んだところで、この舞台が意欲的な作品であるとわかる。  私の世代にとっては、ドウス昌代によるノンフクション『東京ローズ』がなじみ深い。  今回のプロダクションは、二○一九年にエディンバラ・フェスティバルで初演されたミュージカルを基にしている。バーン・レモン・シアターによるオリジナル自体が、女性のみのキャストで上演されており、今回の藤田俊太郎演出もその配役のやりか

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【劇評315】『RAGTIME』は、不安定な私たちの時代をあからさまにする。

 私たちは、ラグタイムの時代から、進歩したのだろうか。それとも、懲りることなく、墜落をやめていないのだろうか。  ミュージカル『RAGTIME』(テレンス・マクナリー脚本 リン・アレンズ歌詞 スティーブン・ブラハティ音楽 藤田俊太郎演出 エイマン・フォーリー振付)は、過去のミュージカルの単なるリバイバルではない。私たちの時代が、いかに、不安定で、自信をうしなっているかをあからさまにする。  まず劇の冒頭から、強烈な楽曲「Ragtime」で、さまざまな場所をつないでいく。

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高橋一生、その光と影

 現在、東京芸術劇場で上演されている『兎、波を走る』(野田秀樹作・演出)で、高橋一生は、脱兎の役を演じている。『フェイクスピア』以来、二度目の野田作品での主役。髙橋は妄想の闇のなかで、孤独に生きる人間を見事に演じていた。  高橋一生は、まぎれもなく二枚目だけれども、明るいだけの好青年ではない。そこには、陰翳を礼賛する精神がある。蛍光灯の明かりではなく、行燈の灯りに揺れる人影の美しさ。その傾きを大切に生きる日本的な美意識をからだにまとっているのだった。  舞台俳優の幸福は、

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【劇評298】幼い子を亡くす。いつの世も変わらぬ痛みを掘り下げた『ラビット・ホール』。

 幼い子供を事故で亡くした夫婦は、日常を取り戻すことはできるのか。  『ラビット・ホール』(デヴィッド・リンゼイ=アベアー作、小田島創志訳、藤田俊太郎演出)は、このおよそ不可能な問いに対して、微かではあるけれども、希望を語った。それは、この世界には出口がない、ただ断崖だけが待っている。そんな未来への絶望に捉えられている私たちへの力強い励ましとなった。  ニューヨーク郊外にある住宅街。瀟洒な家に住むベッカ(宮澤エマ)と妹のイジー(土井ケイト)の奇妙な会話からこの舞台は始まる

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【劇評281】花村想太の出世作となった『ジャージー・ボーイズ』チームグリーンのドラマ性。人は大人になり、汚辱にまみれていく。

 中川晃教のヴァリーを擁して『ジャジー・ボーイズ』(藤田俊太郎演出 小田島恒志訳)は、再演を重ねてきた。ふたつのチームで公演する場合も、中川だけは不動で、すべての回に出演してきたのである。  私にとって中川のヴァリーは、唯一無二であり、他のキャストなど考えてみたこともなかった。  この十月に日生劇場で上演されている『ジャジー・ボーイズ』は、ふたつのチームがある。中川を中心としたチームブラックと、花村想太がヴァリーを勤めるチームグリーン。私は新しいチームがどれほどのパフォー

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沈黙は金ではない。沈黙は死である。久し振りに演出家藤田俊太郎と対話して。

 演出家の藤田俊太郎さんと、公の場で話す機会があった。  この五月、場所は、東京藝術大学上野校地第三講義室。  印象に残った話がいくつかあるので、ここに書き記しておく。  まず、コロナ禍の公演中止について。確かに藤田さんは、全面的な公演中止や打ち切りなど大きな被害を受けた演出家だと思う。振り返って「政府に演劇は必要がない」と彼は感じたというのである。  この感想は演劇関係者や百貨店関係者に共有できる。なにか愚劣な政府、都の上層部が、演劇や百貨店をやりだまにあげて、自分の

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村井良大、spiによる『手紙』に、ミュージカルの可能性を読む。

 ミュージカルでは、再演は最高の勲章となる。トニー賞には、ベストリバイバル部門があるし、日本でも白鸚の『ラマンチャの男』は、一九六九年から再演を繰り返した。  とはいえ、ブロードウェイやウェストエンド発ではなく、日本オリジナルのミュージカルとなると、宝塚をのぞけば、再演を繰り返すのは、容易ではない。  東野圭吾原作、髙橋知伽子脚本・作詞、深沢桂子作曲・音楽監督・作詞、藤田俊太郎演出の『手紙』は、二○一六年の初演、一七年の再演に続いて、三演を果たしたのは画期的な出来事だ。し

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【劇評222】ゴミ袋から発見された赤子は、路上生活者を救うか。藤田俊太郎演出『東京ゴッドファーザーズ』の奇跡。

 生まれたばかりの幼子ほど、保護を求めている存在はない。また、ときに、幼子は、奇跡を呼ぶ天使になぞらえられることがある。  『東京ゴッドファーザーズ』(土屋理敬・上演台本 藤田俊太郎・演出)は、今敏のアニメを原作とする。土屋の台本は、基本的にアニメの台詞に忠実で、原作の持つファンタジーを損なわない方針でまとめられている。  アニメにはアニメの特質があり、演劇には演劇の法則がある。  たとえば、アニメは視点の設定とその転換が自由であり、クローズアップも俯瞰も自在に出来る。そ

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藤田俊太郎への聞書きを再読して思うこと、いくつか

 今回、「権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代」を書き進めるために、2016年9月12日に藤田俊太郎さんと行ったインタビューを再録した。  五年も前の、しかも、全体を公開する前提ではない取材である。もちろん、掲載に関しては、藤田さんの了解を取ったが、彼は、別に事前に見せて下さいなどとの条件をつけなかった。  筋からいえば、藤田さんの所属事務所の舞プロモーションに事前の了解を取るべきだったのだろう。ただ、舞プロは藤田さんの師、蜷川幸雄さんの所属事務所でもあった。そのため私も浅か

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その6(完結編) 蜷川幸雄と女優。大竹しのぶとの葛藤。

長谷部 蜷川さんは、唐十郎さんとか清水邦夫さんには、かつて恩があると思っていました。劇作家は恵まれませんから、晩年は、ふたりの作品を、自分が演出し上演して、上演料が入るようにしなきゃいけないって思ってたのかな。 藤田 それは、公に言っていましたね。唐さんの作品、清水さんの作品をどんどん大きい劇場でやりたいって言ってましたね。立場が逆転しているとは、蜷川さんは言わないと思うんですけど、若い時に唐さんがいたから、清水さんが居たから、演劇人として生き残れたってことを返していってる

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その5 俳優の力を真正面から問う。よい演出家の条件は、愛と怒りの強さか。

藤田 蜷川さんの場合、俳優に対する怒るパワーを持ってる愛の強さと同時に、これは素晴らしいことだと思うんですけど、愛と同じくらいの憎悪感というのも持っていたと思います。じゃなければ、いい仕事できないです。そういう蜷川さんがすごいなって思うのは、歓びと同時に反骨精神がある。自分を鼓舞する、マイナスを力に変えていくものすごい欲望がありましたね。もしかしたらその断られたってことすらも、力に変えていく才能をもっていた気がします。 長谷部 この間木場勝己さんに話を聞いたんだけど、蜷川さ

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その4 蜷川幸雄の怒りは、なぜ激烈だったのだろう。

長谷部 率直に言うと、「カリギュラ」とか「リチャード二世」は例外的で、やはり晩年になると舞台全体の力が落ちていったと思う。やっぱり、70代半ばくらい、2000年あたりの輝かしい舞台とは変わっていった気がする。自分が駄目な時は、わかる人だったと思います。 藤田 わかりますね。 長谷部 自分に厳しくて、作品の出来が、わかる人だったと思います。だから、辛かっただろうね。まわりにはそういう姿を見せなかったんでしょうか? 藤田 僕は渦中にいて一生懸命で、追いつくのに必死だったので

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その3 ゴールドシアターのプロンプとして学んだこと。稽古場で自分の居場所を見つける。

長谷部 稽古場の蜷川さんについて、僕は「グリークス」のときは毎日見てたから、そのくらいまではよくわかってるんだけど、やっぱり、ずっと批評家がいるわけにもいかないから、あんまり行かなくなって、そこから現場で起こっていることは、よくわからなくなっちゃったんだ。2000年周辺と、それ以降を比べると、もっと忙しくなったよね。作品数が増えたでしょう。 藤田 たまたまだと思うんですけど、蜷川さんはそれも頭にあったと思いますね。「このままじゃ助手の人数が少ないな」って。たくさんいたんです

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