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天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎

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今もあふれる悲しみ。『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』(文春新書)を書くことになったのも、私にとっては宿命だったような気がしています。いつまでも忘れられず、記憶のなかで生き…
ふたりの天才と名人のことが今でも、こころから離れません。『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』(…
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#坂東三津五郎

「三田文學」秋季号に、勘九郎の『髪結新三』の悪、その色気について書きました

 「團菊爺から勘三津爺へ」と題して、雑誌「三田文學」に時評を書きました。ご想像の通り、早…

長谷部浩
2週間前
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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その3 『野…

 平成十一年に、惜しまれつつ九代目三津五郎が死去した。翌々年の一月には、八十助は十代目を…

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長谷部浩
3か月前
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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その2 円朝…

 勘三郎と三津五郎が注ぎ込んだ熱は、一年では終わらなかった。  年を追うごとに、納涼歌舞…

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長谷部浩
3か月前
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『初心忘れず 坂東流創立百年』を読む。

 坂東流創立百周年の冊子をお送りいただいた。  十代目三津五郎とは、生前ご縁があり、二冊…

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長谷部浩
3年前
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菊之助が大阪で『六歌仙容彩』を踊る。

 『六歌仙容彩』には、思い入れがある。  今はなき坂東三津五郎の取材を重ねていた頃、『京…

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長谷部浩
3年前
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三津五郎の墓参りに行って、ぼんやり考えたこと。

 入試の季節は、受験生の必死な思いとぶつかりあうことになる。  もっとも、二○一五年の二…

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長谷部浩
3年前
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藤田俊太郎への聞書きを再読して思うこと、いくつか

 今回、「権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代」を書き進めるために、2016年9月12日に藤田俊太郎さんと行ったインタビューを再録した。  五年も前の、しかも、全体を公開する前提ではない取材である。もちろん、掲載に関しては、藤田さんの了解を取ったが、彼は、別に事前に見せて下さいなどとの条件をつけなかった。  筋からいえば、藤田さんの所属事務所の舞プロモーションに事前の了解を取るべきだったのだろう。ただ、舞プロは藤田さんの師、蜷川幸雄さんの所属事務所でもあった。そのため私も浅か

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役者人生に微妙で、重大な影響を与える「代役」。玉三郎、三津五郎、海老蔵、菊之助に…

 代役という言葉にひかれる。  歌舞伎の世界に留まらず、代役によってチャンスを得た人は多…

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長谷部浩
4年前
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玉三郎の代役を菊之助が勤める。歌舞伎役者のたしなみについて考えた。

 歌舞伎役者の誇りは、急な代役が勤められるところにある。  レパートリーシアターならでは…

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長谷部浩
4年前
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三津五郎のメールアドレスが、自動入力で蘇ってきた。

 日本舞踊の坂東流が、百周年記念誌の準備を着々と進めている。去年から連絡があり、十代目三…

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長谷部浩
4年前
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三津五郎さんの心配。

 坂東流からの依頼があって、三津五郎さんの評伝を書いた。短い枚数だったので、意を尽くせた…

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長谷部浩
4年前
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菊之助の『義経千本桜』について思うこと。

 映像だけで批評を書いたことはない。これまで長い間、評論家としての活動を続けてきた。舞台…

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長谷部浩
4年前
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ドイツ、ベルリン・ケルンでのレクチャーの予定をお知らせします。

ヨーロッパでは刻々と情勢が動いています。 現在のところ、4月30日には、ベルリンの日独文…

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長谷部浩
4年前
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インタビューの準備は何をするべきか。『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』の場合。

 インタビューが大好きだった。 インタビューされるのがではない。自分がインタビュアーとなって、人に話を聞くのが好きだった。  私の二十代は、インタビューの仕事が多かった。  編集会議で企画が通れば、できるだけライターさんには依頼せずに、自分自身で話を聞きいった。原稿を書き、写真を選び見出しやキャプションを書くことに追われていた。  思い出に残るインタビューは数々あるけれども、この仕事で中村勘三郎(当時、勘九郎)や坂東三津五郎とも会った。坂本龍一や小田和正ともロングインタビ

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