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たった一つでも人生を変えるコンテンツを作れているか?

年末は気合の入った記事が多い。晦日・大晦日はたまった記事を読むので時間が潰れてしまいそうだ。不思議と「気合の入った記事」は見出しとリードでわかることが多い。タイトルは誰もがちゃんと作る部分だが、リードや見出しはおざなりになる部分があるのかもしれない。

そうした、たくさんの気合の入った記事を読んでいると、一つ気づいたことがある。評価が多い記事だけが良い記事とは限らないことだ。シェアは少なくともスキは少なくとも、深く響く記事も少なくなかった。決して、言及数とコンテンツの良さは比例するものでは無い。

ちょうど先日の取材ともリンクした。詳細は、今後の記事内で触れるつもりだが、これからの情報発信には「狭く深く刺す」を根気強く積み重ねていくやり方も増えていくだろう。

インプレッションよりもエンゲージメントが必要となる。これは多くのプラットフォームで導入されつつある考えともリンクする。次世代のGoogleアナリティクス「GA4」でも「エンゲージメント」という新しい指標が登場している。

「どれだけ多くの人に届けるか・どれだけ多くの人に言及してもらうか」といった戦略は、これからも有効だろうし「知らないものを知りたい・お得なものを知りたい」という探索欲求自体は変わらないものだろう。

だが、多くの情報を探る人やトレンドに晒されるチャネルは、競争が多く、移り変わりをするカテゴリーでもある。トレンドや有益性だけのコンテンツは「誰が語っているか」とよりかは「何が語られているか」が重要視されがちだ。特に「メディア」の存在感が薄まりつつある。

無名な書き手や無名な媒体でも、読まれるチャンスが広がってきた。Twitterやニュースアプリの活躍が大きい。多くの雑誌系ウェブメディアのPVの半数以上は、スマートニュースなどの外部配信経由になっている。外部PVが自社PVの倍以上になっているメディアも少なくない。

中長期で考えると「PVが増えた!」と喜んでばかりはいられない。キュレーションアプリでは、複数の媒体のニュースが一覧的に扱われる。「どこのメディアか」でニュース詳細をクリックするユーザーは多くない。書き手にとっては春だが、メディアにとっては冬の時代だろう。あのJJが休刊したことは、そうした背景と接続される気がする。

では、狭く深く刺すとはなにか?

有益性やユーザ価値を追い求めつつ、読み手が想像していなかったような深く突き刺すコンテンツには、ときには「不快」と思われるかもしれないアイデアや表現さえ必要になってくるのかもしれない。

これは現代アートに求められるものに語られる視点に近い。アートと言えば「わかりやすいもの・気持ちの良いもの・感動するもの」が求められがちだが、海外の現代アーティストやキュレーターが提言するのは「現代アートは時に不快なアプローチをする必要さえある」と言うものだ。見た人々の常識を変えること・意識に深く突き刺すこと、そういったアプローチを掲げている。

深く刺すとは、長く書くだけではない。しかし、どうすれば実現できるかは、まだアイデアの段階なので、ここでいろいろ書くのは空想の域を出ない。それを実験・検証していくことが、書き手・編み手としての自分の2021年の方針の一つとなるだろう。

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