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「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」

これは「優しくしてくれない人には優しくしなくていい」というわけではありません。

前提として、「ひどいことをされてもつい後ろめたさから相手に尽くしてしまう」みたいなわたしの悪しきパーソナリティがあるのですが、この言葉の意味するところは、「相手と自分が対等な関係を保てているときにのみ、その献身は発揮されるべきである」みたいなことだと理解しています。

この言葉をくれたのはカウンセラーさんで、親子関係を中心とした人間関係のバランスについてフラットにアドバイスしてもらい、とても救われました。ちょっと話が逸れますが、カウンセリングはひところ毎週通っていて、友人に対して日々の愚痴を逸脱するようなドロドロした部分をぶちまけるのは相手の負担になるし、そもそも友人にだって毎日の暮らしがあって、ストレスや問題があるわけで、わたしのドロドロを押し付けるわけにはいかない、ということに思い至り、色々探して、通うようになりました。普段の生活では処理しきれない自分自身の問題とモヤモヤ、それを分解していく作業のパートナーという役割をプロに預けられるのは、本当に救われました。

ちなみに通っていたカウンセリングは1時間1万円とかでしたけど、こんがらがった紐をほどく手伝いをプロにしてもらえる、という視点で考えると、割りと安い支払いではないかと思います。

さらに話が逸れますが、わたしはあまり親しい友人が多くなくて、特に女友達が少ないんですが、女友達との友情の破綻は「自分が相手の痰壺になった」と感じるときに来ることが多いんですよね。

どういうことかというと、お互いの辛かったことや汚い感情など、いろんなことを吐き出しあって、その開陳を親愛や友情の証と捉える人というのが一定数いるんです。(そしてわたしもそういう関係性の構築をすることが、たまにあります)

そういう人はグッと距離を縮めてくるのも上手いんですが、そのぶん「使い棄て」のように突然関係を切られたり、わたしが嫌がることを平気でしてショックを与えられたり、なんかこう、突然「お前もういいや」って扱いを受ける瞬間が来て、「切られる」ことがあるんですよ。

初めは「この人だけが特異点なのかな…」と思っていたのですが、10人に満たないまでも複数人いたので、たぶん共通の何かがあるんじゃないかなと思ってます。わたしの性格とか、相性もあるのかなあ。細かい理由はよくわかんないです。

で、そうやって「突然切る」ような相手と出くわしたとき、最初は本当にショックで、何かいけないことをしたんだろうかとか、わたしが悪かったのでは…とかたいへん深く悩んで自分を責めたんですけど、なんか、そういうことだけでもないっぽい。

でも、それをまたやられるのも精神的にしんどいし、じゃあ、どうすればいいんだろう…と悩む日々が続いていたところ、前述の言葉と出会いました。この考え方を知って、「そもそも、そうやって信頼関係をブチ切って来る人のことを、こちら側だけが思いやっても意味が無いのだ」というところに思い至ってからは、少し人間関係が楽になりました。

前述の言葉は、会社の上司との関係について、としてもらいました。でも、他者との関係、という意味では、プライベートな人間関係にも適用できるなあと気づきまして、最近では「うわ、こいつひっでえことするな」と思った相手には、わたしからも進んで優しくはしない。なぜなら、わたしは自分のことを大切にしているから。というスタンスで、「静かに拒絶」する、という手法を覚えまして、これがなかなか快適なので、みなさまにご共有しておきたいと思った次第でございます。

雨で冷えると気持ちも塞ぎますね。お身体ご自愛くださいませ。


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