「僕らはみんな下手な料理人」から考える学問の視点、ビジネスの視点

大学の先生からの酷評とエール

大学時代の教授が、拙い論文を書く僕らにこう言った。

「僕は君たち学生に何の期待もしていない。学生が考えたことなんて基本的に議論され尽くされている。例えるなら君たちは下手な料理人。そんな修行不足の君たちが、客に料理を食わせるためにはどうするか。それは新鮮でうまい食材を得ること。まともな調理法を知らない下手な料理人でも新鮮で最高の肉が手に入ればとりあえずどうにか食えるものは作れる。」

ぐぅの音もでないほどごもっともである。

いま学びを得ようとしている人々は基本的に下手な料理人である。

調理法を知らないから、その調理法を学ぶために勉強している。

ビジネスでも学問でも学習者はみんながそうである。

そんな人たちが学びながらも実践するとしたら、新鮮で最高の肉を手に入れることが重要である。これを言い換えれば、食材にこだわれということ。例えば、誰も手につけていないような新鮮でうまそうなネタを手に入れることだ。

帰納法と演繹法

一般論から結論を導くのが

「演繹法」

夏はスイカが売れる→今年の夏はスイカが売れるだろう。

個別具体的な事例から共通項を導き結論を出すのが

「帰納法」

一昨年の夏はスイカが売れた、去年の夏はスイカが売れた→今年の夏もスイカが売れるだろう。

どちらで調理をすべきかといった間違いなく帰納法のほうが良い。

帰納法は難しいとも言われるが、下手な料理人は一般論なんて捌けない。

なぜならば、あまりに領域が広く何から手をつけていいか分からなくなるからだ。ただし、個別具体的な事例なら本やネット、記事から見つけることができる。その事例が誰も扱ったことのないようなかなりニッチなものだったらネタとしては面白い。それから一般化するための結論を出すことは難しいがネタが面白いだけでとりあえず見応えはある。

ケーキよりも密かにパリで流行っているスイーツ

ビジネスでも同じことが言える。

マーケティングや打算的な行動が苦手だったら、ネタで勝負したら面白いものができる可能性はある。タピオカ屋を最初に始めた人がマーケティングが苦手かどうかは知らないが、タピオカというキャッチーなネタは間違いなく重要であった。ただケーキ屋を開店するよりも、密かにニューヨークで流行っていて日本に無いもの、密かにパリで流行っていて日本に無いもの、こんな視点でやったほうが調理法を知らない料理人にとっては流行る可能性がまだある。

料理人として成長したのちに、一般論を扱えば良い。その状態なら味が良く想像力豊かなオリジナルケーキを生み出すことができる。

自分のことを過信してはいけない。今は自分のことを下手な料理人と思い、個別具体的で面白い新鮮なネタを仕入れる努力をしよう。





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