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旅のおわりの8日目は鉾田の海へ!


*最終日は千葉からの友人とレンタカーにて鉾田の海へ行く!


昨日までの夢のような一週間を旅をしてきた私。これほどたくさん家を空けたことは生まれて初めて。


滞在最後の朝にホテルから見えた霞ヶ浦のヨットハーバーあたりの朝焼け


11日の旅の最終日は。今年の4月5日のバースデイナイトの催しに初めて参加した京都で、初めて会った方と私の泊まっているホテル前で待ち合わせをしていた。
でもその当日の朝まで来てくれるかがとても心配だった。というのも。この方とは初めて会ったあとも春馬くん絡みの大阪の催し物などで、その後も夏までに京都、大阪、銀座などで3回お会いすることになった方。途中まで一緒に帰ることもありとても短い期間に集まりでお会いした春馬くんのファンの誰よりもたくさんお話をする機会があった。私としてはとても気が合うと思ったし、とても優しい方でまた会いたいな〜と思う方。4月5日のバースデイナイトの次の日は、京都市内を案内してくださる企画にご一緒したり。帰りの新幹線では途中まで一緒に帰ったり。4月終わりには大阪であった『天外者』五代さまが映画になるまでをもり立てたグループの講演会でご一緒したり。その後の打ち上げで監督ともご一緒して少しだけお話ができたり。(監督はその人となりがとても素敵で声も穏やかで紳士的で優しい雰囲気があふれる方だと想った)その千葉の方は終点まで新幹線で。私は名古屋で降りるけど途中までお話もたくさんできた。6月の銀座の催しの時は少し早く上京して唯一交換していたラインで連絡をとりあい、新橋で待ち合わせ。ゆりかもめに乗って港区海岸三丁目あたりを散策したり。春馬くんが行った事があった葡萄亭で食事をしたり。短い期間に何回も会うことがあり、いつもひとり旅の私にとってはとてもたくさん行動を共にする方だった。
その方は普段は車に乗らないらしくて、まだ茨城の春馬くんがサーフィンをしていたとされる鉾田の海へいったことがないと聞いていたので、今回の旅の何処かでは一人でも行こうと決めていた鉾の海へ一緒に行くことを誘っていた。

前もって具体的に決めていない時期から考えていたこと。旅2日目のコールドプレイのコンサートを観ること。と前もってレンタカーを借りる手続き上鉾田の海へ行く日を決めておくこと。この2つは随分前に決めた。ラインにてその方と私の都合を考えて旅の最終日つまり11月11日㈯に鉾田の海へ行くことを決めてレンタカーを借りた。待ち合わせ場所は当日朝8時に土浦の私が泊まっているホテルの前。ということを10月初めに決めておいた。連絡はいつもライン。決めておいたけど10月中旬以降こちらがラインしてもお返事が来なくなってしまった。しかも実はその時に11月末に京セラ美術館での井田幸昌氏の美術展にも日帰りでも行くことも約束していたから。大丈夫かな?来れるかな?もしかしたら携帯がこわれてしまったかな?とも。ほぼ一ヶ月連絡がとれない状態で迎えた当日の朝。でもきっと来てくれる!と想い今回連泊したホテルのチェックインをするべく下のロビーに降りるためにエレベーターへ。一階に着きドアが開くと目の前にその方が座っていた!よかった!お聞きすると待ち合わせ30分前には来ていたとのこと。やはり携帯が壊れて連絡できなかったこと。私が早く来れたなら電話で呼び出してくれればもっと早く降りてきたのに。と言うと。
私の名字も知らなかったとのこと。そうだ!ラインは本名を全部載せている人も多い中、私はニックネームで載せているからよりわからないんだ!その方は千葉から待ち合わせの時間より少しでも早くと想いいつつ、いつもは歩かないところを歩いて電車に乗ってきたと言われた。確かに連絡がつかない状態で10分以上会えなければレンタカーは8時から借りていたから、私が借りに行ってしまえば会えないということもあり得た。会えてよかった!
一昔前まではありえない連絡方法でつながるSNS。身を持ってその落とし穴を感じた瞬間だった。

それでも私は初めのきっかけはSNSの場所であっても、いい出会いはあるということを実体験として知ることができた。

春馬くんのことがなければ体験できなかったこと。どこであってもいい出会いは可能!職場で出会っても。学生時代に出会っても。幼馴染として出会っても。その人と向き合った時にどうするか!どういう人でありたいか!どんな言葉を紡ぐか!ということに尽きると想う。私はもちろん誰もが自分の目の片寄りがあることもあると想う。それでもやはり尊敬する誰かと出会うことにより、私もそうなりたい!と想い身を正すことをさせてもらうことも。はじめから清く正しくという人もいるかもしれないけれど。そうではないとも想う。私は春馬くんという人に出会ってより近づきたいと思うし。春馬くんのことを大好きな方の中にも。いつも私が出会っている職場の方の中にも。友人の中にも。仕事として関わった高齢者の方の中にも。電車で出会っただけの方の行動を見ても。あ〜。いいな。あんなふうになりたいな。あんな人になりたいな。と思うことがある。いまだにそう思う。
たぶん歳を重ねていても、私は未発達のところがあるのかもしれない。でもその気持ちには正直にこれからも暮らしていけたら✨と想っています。自分に関しても出会えてよかった!と少しでも思ってもらえるよう努力していきたい。それがもしかしたら「よりよく生きたい!」と春馬くんが言っていたことにつながる気がする。

今同じ世界にいないことはとてもとても寂しいけれど。私の心にはずっといるし。全国世界の春馬くんのことを好きな方の心の中にもずっといてくれる!と想うとホッとする瞬間も多い。
ここでやっぱり春馬くん!どうもありがとう!と言いたくなる。


ということで。二人で色々お話しながらホテルからすぐのレンタカー屋さんに、私はスーツケースやそれまでの荷物をすべて持ってゴロゴロと音をたてながら歩いた。(鉾田の海へ行ったあとは荷物を持って東京へ行く予定だから。)
ここのレンタカー屋さんは鉾田の海へ行くために何回も借りているお店。小さい車が多いがホテルから近いことがとても便利。高速道路には普段は乗らないけど運転は通勤でも仕事中も遊びに行く時もしているので、苦手ではない方。でも知らない道を何も調べずに行くのは苦手。初めてレンタカーで鉾田の海方面に行ったのは確か2021年4月7日。それから来るたびに行ける時間がある時は前もって予約して借りるようにしている。

土浦の駅あたりから鉾田の海へ行くのは時間はかかるけれど簡単な道のり。354号線をひたすら真っすぐ走ると右折か左折しかできない道に出る。そこは51号線。突き当たった51号線を左折してしばらく走り続けどこかで右に入ると鉾田の海へたどり着く。354号線を走っている途中に霞ヶ浦の橋を2回渡る。もっと近道はあると思うけど。どこかで曲がってしまうと迷うのと(実際に途中で曲がった時に迷ったことがある)その道路がとても走りやすいのと。のどかな田園が続くので好き。茨城県は農業大国だな〜と思う。いつか春馬くんが農業をしたい!と言っていたことがごく自然なことだったと腑に落ちる。

今TVerで放送されている2019『TWO WEEKS』のはなちゃんが入院しているとされるロケ地の病院は土浦駅からもわりと近いところの354号線からどこかで右折するとあることがわかり、2021年の夏に蓮の花を見たくて行った春馬くんの気配探し旅の時に行ったことがあった。ここの病院の近くにも白い蓮の花が咲いていた✨今またTVerで見始めているので、何回もでてくるこの病院にもまた行きたくなっている。結城春馬くんに逢うために。やはり作品が素晴らしすぎて何回も同じ気持ちになってしまう。


今回のレンタカー。車番でわかるかもしれないけど土浦番号で運転できる幸せ


今回のレンタカーは黑色の軽自動車。車種はわからないけど。運転しやすかった。もう何度も行っているのでナビも入れずに走る。家から持ってきていた春馬くんの出してくれた1st.と2ndシングルのはいったCD5曲やいつも聞いているJUJUさんのCDなどをながしながら走った!何度行ってものどかな田園風景。1つ目の霞ヶ浦大橋を渡ると左手に道の駅「たまつくり」が見えてきた。ここも休憩がてら何度も立ち寄っている。今回は春友さんに教えてもらっていた初写真集『たぶん』でも撮影した道の駅たまつくりの裏の霞ヶ浦にあるミニ灯台のようなところで立っていた10代の春馬くんの写真✨当時初めて買っていた『たぶん』は今からなら15年ぐらい前に購入したもの。大切に持っていた。そこには母校の真鍋小学校での春馬くん。どこかのレンコン畑の蓮の花のすぐ近くで佇む春馬くん。どこかの海のすぐ近くにいる春馬くん。そして霞ヶ浦にいる春馬くん。まだまだ少年のあどけなさの中にも少し男らしくなった初々しい表情や姿。色も白く爽やか。『恋空』の少し前。何度もきているたまつくりの道の駅で撮っていたことを知ったのは少し前。Xにて春友さんに教えてもらった。私たち二人は交代で同じような場所で写真を撮った。
その後、今日自宅に帰るということで、いつもなら買えない商品も買ったりした。鯉の甘露煮が格安。両親の出身の長野では鯉を自宅に飼ってそれを食する文化があり、近くの料理屋さんでもそんなメニューがあったから食べる機会もあった。今住んでもいるところは鰻屋さんなどで鯉のあらい。と言って刺し身は食べる機会はあるけれど。なかなか甘露煮を食べることができない。それにさすがの茨城!柔らかい仕上がりの干芋が格安で。家に帰ってから食べてみたら両方とも、とても美味しかった。


初写真集『たぶん』の撮影場所だった道の駅たまつくり裏手の霞ヶ浦


ここに春馬くんがいた!


遠くに男体山と女体山の2つの山が特徴の筑波山も見えた!


竹箒の先は茨城にもあるコキア(箒草)でできている?(道の駅たまつくり)


いろいろな色の葉牡丹を集めるとこんなに可愛くなっていた!(道の駅たまつくり)


そんな嬉しく楽しい道の駅「たまつくり」で春馬くんの気配を思い出したり、美味しいものを買ったりしたあと。また二人で車に乗り走り出す。春馬くんの歌声と共に!とても気分がよかった!もう2つ目の霞ヶ浦を渡る橋を渡ったあと
水戸から出ている鹿島臨海鉄道大洗線の駅『大洋』の横を通る。この駅の一つ前が先日電車で行って降りたったもう一つの初写真集『たぶん』の撮影場所「北浦湖畔駅」ということはわかっていた。車で行けるはずなのに。まだ行けていない。またいつか✨車でも周りたい。

その後もまっすぐ354号線を走ると右折か左折しかできない51号線に突き当たった!すぐ手前にコメリというホームセンターが見えてきたらすぐ突き当たる。
その51号線を左折してまたずっと走る。何回も行ってわかったけど。51号線は大洗駅近くにも走っていたからそのまままっすぐ走ると大洗駅近くの大洗海水浴場にも行けるんだと想う。初めてく春馬くんの偲び旅のときに電車だけで行った場所。春馬くんがサーフィンの師匠とよく行っていた穴場の場所は鉾田の海ですか
大洗海水浴場に限りなく近いんだと想う。大河ドラマ『武蔵』で当時は海老蔵さんと共演した時に大洗であんこう鍋をごちそうになったことを話していたね。大洗はあんこうが有名。それと小さい頃、毎年家族で行っていた海水浴場ももしかしたら大洗だった?近くの大竹海岸?なんて想ったりもした。お父様が沖の方までどんどん連れて行くから怖くて泣いちゃった思い出も話してくれていたね。どちらにしても行っていた海は太平洋だったと思う。
私の父と兄の名前には「海」という字が使われていて、私の名前にも太平洋のうち「洋」という字が使われている。父は生まれた県も住み始めた県にも海がなかったから、広い海への憧れがありつけたんだと想う。そんなことを聞くことはできない今だから無性に聞きたくなる。
春馬くん父子も上の世界で二人で話しててほしいな〜。なんて想いたい。

ずっと走り、あるところを右折してまたずっと道なりに走り周りの畑を見ながら少しくねくねと走ると?急に目の前に海の景色が拡がる!
駐車場はない場所だから少し手前のじゃまにならない場所に駐車させてもらう。
少し坂になっているところを二人で歩いた。私は何回かきた場所。千葉の方は初めて。春馬くんがテトラポットに座り海の波の様子を見ている場所へ。交代しながら写真を撮った。お天気は曇っていたけど風もひどくなくそれほど寒くなかった。ここは太平洋✨海原の向こうは岸も何も見えず。果てしなくひろがる海。
私の隣の県の海は太平洋だけど向こうの陸?半島が見えたりする。茨城県の鉾田の海は大海原が拡がっている!この海を春馬くんは何回も見たんだね!何回もサーフボードに乗っていたんだね!2019『TWO WEEKS』の連続ドラマでは日に焼けても良い役柄だったことと。茨城県でのロケが多かったから、サーフィンも何回かできたことをどこかでつぶやいていたね。
次の年からはコロナ禍になりどこにも行けない状況になった。でも前年にサーフィンが何回かできたことはよかったね。
よかったと想う。海外でもサーフィンをしたかったことが叶わなかったことはとても残念だけど。今はいろいろなところでサーフィンをしていると想っていたい。想っていてもいいよね!想うことにする!

テトラポットの向こう側はより海に近づく。春馬くんがサーフスーツを着てサーフボードを持って歩いていた道。海へ入っていきサーフィンをするために沖に向かいボードにうつ伏せに乗って進む姿。いい波が来た時に向こうから波に乗った瞬間!いろいろ思い浮かべてみた。その日はその海では一人だけ少し向こうの方にサーフィンをしている人がいた。遠すぎて顔はわかからないけれど。師匠関連の駐車場には1台の白い車が止まっていたから、師匠?その関係者?と想った。あの悲しい夏がなければ?今もここで春馬くんはサーフィンに来ていたのかな?来ててほしかったな〜。と何回も思ってしまった。こんなふうに何回も想ってしまうことは、今は上の世界にいる春馬くんにとっては負担になるのかしら?と思いながらも。想わせて!と堂々巡りの考えになってしまう。


春馬くんが波を見て座っていた場所



どこまでもひろがる海原


波の音が聞こえそう!


波をみて。波の音をきいて。二人で春馬くんをいっぱい想った時間。
ここの海は穴場ということでいつもほぼ人の気配がないので、たった一人で来るるのは抵抗がある。今日は二人でこれて良かったし、とてもゆっくりすることができた。

名残おしかったけどその後また車に乗る。

次に行くところは近くの和食店
「お食事処あさひ」さん。春馬くんがサーフィンの帰りによく行っていたお店。
ここも何回もきたことはあった。一人でくることが多かったが、昨年の夏は私の地元の友人との二人旅で来た。その友人のことは他の旅でも話したことがある。その友人は東京と舞台が好き。私は春馬くんと舞台が好き。という舞台好きが共通したこと。地元でも二人で観ることがあった。春馬くんの初舞台『星の大地に降る涙』『海盗セブン』『地獄のオルフェイス』2016『キンキーブーツ』を一緒に観た友人。大阪の『五右衛門ロックIII』は別の友人と観た。20204月19日は地元で『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィドウ』は娘と見る予定だった。
2022年は夏に咲く土浦の蓮の花を見るために行った旅。秋には筑波山に登る為にまた二人で行った。
鉾田の海に行った帰りに「お食事処あさひ」さんにも行った。

今回の千葉の方は「お食事処あさひ」さんも初めて。
私はそれまで食べたことのない春馬くんが頼んでいたらしい、唐揚げ定食を。唐揚げ定食の唐揚げも多かった。いつも思うけれど。こんなに出してくれて採算が取れるのだろうか?とも想うけど。何回か来た時もけっこうお客さんは入っている感じだった。初めてレンタカーで一人で来た時には牡蠣フライ定食。牡蠣フライの量がすごかった!と思い出す。2回目に来た時のチャンポン麺も上にのっている具材も麺も多かった。

二人でシェアすればよかったね!というぐらいの量。とても美味しく頂きました。


鉾田の海へ行ったあとはレンタカーで土浦駅まで帰り、常磐線にすぐに乗り行けたら世田谷のパン屋キャッスルさんに行こうとは思っていたけど。鉾田の海でゆっくりしていたのと。電車が少し遅れていたためと。大荷物を持っての移動は大変だった。
ということで、今回は諦めることに。千葉の方はその日は都内で夕方劇を見る予定があった。東京駅に着く頃は5時近く。劇の時間も迫っているし。東京駅はとても混んでいて座るところもないほど。私は東京駅から自由席だけ前もって購入していたから、座席指定を買い足し帰る便を決めた。トイレに行っているうちにぱっと走って待合室の座るところを確保してくれていた。二人で飲み物を購入して座って飲む。とてもフットワークが軽く。自分も荷物を持っているのに私の荷物も持ってくれる優しさがしみた。

友人は劇の時間が迫っていたのでサーッとジュースを飲んで劇を見るために席を立つ。
今度は11月末の日帰り旅で会うことになっていた。春馬くんの友人だった井田幸昌氏の京セラ美術館での美術展を見る日帰り旅!京都駅で会いましょうね。と言ってサヨナラをした。

私は新幹線の出発時間まで少しゆとりがあったので、ゆっくり飲んで少し休むことができた。

今日は千葉の友人に無事に会うことができて、予定通りレンタカーで鉾田の海に行くことができてよかった。
初めて長い旅をしてみたけれど、できるもんだな〜と思った。そんなことを思いながら新幹線に乗り帰路についた。
行った先々での出会いがあり、どの出会いも大切な思い出になった。
出会う人は変わっても私の心にはいつも春馬くんがいることは確かなこと。


*7泊8日の旅を終えて。


『14才の母』という作品で偶然春馬くんを見つけてしまってからすでに18年は経とうとしている。

突然私が生きている世界からいなくなってしまってからも3年5ヶ月もの時間が経とうとしている。その3年5ヶ月の間、初めて偲ぶために出かけた旅から何回も何回も気配探しの旅をするようになった。自分の心を整えるためにしてきた行動。全く一人だけで、彷徨うように行っていた行動。少しずつ春馬くんのことを好きな方とも出逢い語れることも嬉しい変化。

前からも今も。私は素敵な表現者だった三浦春馬という人をただ褒めていきたいということに尽きる。

これからも思いついたら気配探しをすると想うし、ただただ春馬くんのことを褒め続けたいと想っている。どう生きていたかということを。生きていた時間を。春馬くんのことはもちろん春馬くん自身が大切にしていた仲間の尊厳を大切にして語っていきたいとも強く強く想っている。

春馬くんが言っていた、「より良く生きる」とはどういうことなのか。ということも考えつつ。永久にファンとしての自分の在り方をいつも律して。振り返り。これからもコツコツと気配探しをしていくんだと想った7泊8日の時間でした。

行った先々でお世話になった方に感謝の気持ちを持って。家で待つ家族の理解にも感謝することを忘れずに✨。

コロナ禍のひどい時はどこのお店にも入らずコンビニでおにぎりを買って食べることの多かった旅も少しずつコロナ禍も緩和していき、今回の旅ではお店にも入りいっぱい美味しい物を食べることができた状況も嬉しかった。

今回は7泊8日という長い旅だったので1日ずつ分けて書いたnote。
結果的に1ヶ月かかってしまいましたが、旅している時想ったこと、感じたことをまた振り返ることになり、より自分の大切な思い出になったんだな〜としみじみと感じることができました。
そんなことを思いながら今回のnoteは終えたいと思います。

とても個人的な旅と想いと時々妄想の数々の文を読んでいただきありがとうございました!







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