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わたし達は、常に旬。

『今』がミルフューユのように重なっていて、
あなたの、わたしの、誰かの世界が点在している。
だから、『いくつだから』とか『わたしなんて』とか
そうやって自分の世界を小さくしてしまわないで。

季節ごとに食べ物に『旬』があるように
わたし達にも『旬』があるかもしれない。
それは、世の中の多くがそう思い込んでいた適齢期のようなものだと
わたしも思い込んでいた。
でも、待てよ、と。
『旬』は自分で創れるんじゃないか?
40代に突入して、歳を重ねるということを実感し始めている今日この頃だが
なんだかとても自分のことが好きになってきた。
20代の頃はなんだか自分に自信がなさすぎて、早くもう少し大人になりたいと思っていた。
30代になると、思っていたほど中身は変わらず、むしろ年齢という枠組みに敏感になって苦しかった。
最近よく思うのだ。まだ30歳にも関わらず絶望していたあの頃のわたしを抱きしめてあげたい、と。

何か大きなことを成し遂げたわけでもないけれど、
わたしがわたしであることに安心できている今が幸せなのだ。
喜びも、感動も、悲しみも、虚しさも、惨めさも、
すべて感じてあげられる自分であることの安堵感、
それはわたしがずっと求めていたものだった。

わたしの中で鎮座する安堵感は碇となって
いつもわたしとわたしを繋いでくれている気がする。

どこぞの誰かの噂話や、焦りをもたらす情報は置いておいて
いつだって『旬』である自分でいよう。
人生は、長いのかもしれないし短いかもしれない。
自分の命の長さなんてわからないから、『今』が『旬』だ。

『今』着たい服は?
『今』食べたいものは?
『今』会いたい人は?
『今』行きたいところは?
そんな風に自分に優しく質問しながら
日々の小さな自分の望みを叶えていってあげよう。
そうやって満たされていくほどに、
自分の中のオージャスが溢れていく。

そして、『今』の『わたし』のことが好きな状態、
それがわたしの『旬』なのだ。

誰だって、『常に旬』でいられる。
いつだって、『常に旬』でいられる。

なーーーーんにもしたくなかった雨の休日の夜さえも
わたしにとっては『旬』のひとときだ。



晴海たお

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