見出し画像

十二運星〜絶・純粋な魂の人〜

最近、わかったことがある。自分の魂が喜んでいるという感覚が。 

悲しいわけでも、嬉しいわけでもなく、その中間というか。 感謝の気持ちとでもいうのか。 とにかくなぜか涙が溢れてくる瞬間に、「ああ、今、わたしの魂が喜んでいるんだな。」と、感じる。


そんな風に、自分と繋がっている感覚を、『幸せ』というのだと、わたしは思う。



十二運星、ついに、旅の終着点。わたしたちの、真実の姿、光の存在とも言われる、それが、魂だ。

魂の姿を表す、『絶(ぜつ)』


魂というものは、目には見えないが。見えるとしたら。多分、光のようなものなのではないだろうか。目に見えない=『無』の状態。十二運星の中で一番エネルギー値が低い、絶。そのイメージからか、魂を意味する絶という星の気質はどこかふわふわしている。ふわふわしていて安定感がない分、自由に動けるし、形の変化も自由自在だ。


『無』という状態は、最強だ。禅の教えでも、座禅を組んで、心をニュートラルな状態にすることが説かれている。ひらめきというのは無の状態から湧き出てくるものだ。物事を、計画的に、効率的に、持続的にというような現実的なアクションに対しては弱いかもしれないが、ひらめきは物事の始点だ。

絶のひらめきが始点となって、終点へ向けてのベクトルが誕生するのだ。十二運星の終着点である絶は、実は、始点を創造できる人なのだ。



あくまでもわたしの感覚ではあるが、絶は十二運星の中で、一番時代に左右されない星だと思っている。形がない、光のような存在、自由であることは、自分の意図次第で何者にもなることができる。時代を代表する天才たちに絶もちが多いのはそのためではないか。

また、これもあくまでもわたしの感覚だが、第二宿命の十二運星が絶の方は、今世で人間としての学びの終了を決めてきているように感じる。全ての方ではないにしろ、自分の人生のテーマに魂という、無の状態である最後の姿を望んでいるのだから。


絶をお持ちのみなさん、どんどんゼツってください!ゼツることを楽しんで、その過集中のエネルギーから生まれる想像力、表現力で自分を満たしていく。それが、絶のひとの星の活かし方だから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?