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私の四柱推命〜師匠の言葉〜

師匠は言った。

「鑑定に正解はない。受けにきてくれた方には、その時だからこそ伝えられるものがある。鑑定は答え合わせだから、その方が旅立つためのギフトとして持って帰ってもらえればいい。仮に、その時、その方の心に刺さらなかったとしても、後で、ふと思い出して役に立つこともあるのだから。」


この言葉は、私の鑑定師人生のお守りになった。きっとこの先、何度もこの言葉を思い出すだろう。



人生って、くす玉みたいだ。みんな、自分のオリジナルのくす玉をせっせっと作って、ここぞという時がきたら割る。

その繰り返しが人の人生なのかもしれない。


今朝、鑑定師の自己紹介文を書くにあたって、自分の命式をあらためて眺めていた。

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干支の並びは、庚申・庚辰・庚申→銭ゲバ・かいごう・銭ゲバ

宿命大半会が二つと律音

大運天中殺に加え、大運日座中殺で30年のブレイク期間がある


自分が四柱推命を学んでいてわかるこのギラギラ感を見ると、私は一体この世で何を体験したくて生まれてきたのか。自分で選んでおきながら、まだまだ謎は解明できていない。


以前、成田山の占い師の先生に言われた。丁卯の優しい命式の兄と私を比べて、

「あらら、、、お兄さんとあなた、逆の生まれだったら良かったのに。あなた男みたいな運勢選んできてるわね。」と。

いいご縁はいつ舞い降りるか、を聞きたかった悩める女子を目の前にその先生は、はっきりそう言った。そして結果、『焦ることなく、自分のやるべきことをやっていればそのうちいい出会いがある。』という診断がその時は下され、私はとぼとぼ帰ってきたことを思い出した。



先日、師匠が私の命式を新しい視点で紐解きながら、こんなことを言っていた。

「このギラギラ感のあるパワフルな命式の中で、きっと二つの食神と養が上手いこと力を抜かせてくれてるんだね。5歳児と赤ちゃんの星たちが、力み過ぎないようにバランスをとってくれているんだね。」

この言葉を聞いて、私は目から鱗で、同時に心が震えた。

磨き上げられた剣を持ち、比肩という2枚の自分看板を掲げて馬にまたがる、野心の塊の武士の横で、二人の5歳児の王子(食神・建禄)とバブ美(養)が、「まあまあ、落ち着いて。」とニコニコしながら、なだめているような絵面が浮かんできた。

ひとの命式の中で無駄な星なんてひとつもない。みんな、自分で選んだ愛すべき星たちで、それぞれが絶妙なバランスを取りながら、必要なタイミングで活かされている。

自分の星たちを活かしながら、自分だけのオリジナルのくす玉を作る。その中身は、嬉しかったこと、涙したこと、楽しかったこと、悔しかったこと。色んな思い出や感情でカラフルで、キラキラしている。

時には、一人ではなく、家族やパートナー、友達や仕事仲間とそのくす玉を作り上げることもあるだろう。割るまでに時間のかかるくす玉もあるかもしれない。そのくす玉を完成させるために、出会うべき人がいるかもしれないし、一人で向き合わなければならいかもしれない。そして、然るべきタイミングが来たら、みんなの前でくす玉を割るんだ。人生には、そうゆう華やかな一瞬が誰にでもある。


私は、鑑定を通して出会った全ての方が、自分の命式を通して、自分が自分でいられること、自分には自分がいるから大丈夫なんだ、と安心してもらえるような鑑定をしていきたい。自分を知って、自分を愛して、自分に頼る事ができることがいかに安心できて、どんなに幸せなことか。それができるからこそ、自分以外の人を大切に想うことができる。四柱推命を学んで、そのことにようやく私も気付き始めたところだ。


私は、四柱推命鑑定師として、これから出会う方々のくす玉作りに参加させていただくことになる。

『あなたは、こんな素敵な材料(星)があります。この材料(星)でこんな素敵なくす玉が作れますよ。』

そんなことを言いながら。


そして、また師匠の言葉を反芻する。

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