見出し画像

読むことしかできない

ここのところ、SNSで何もかも共有する世界に疲れてしまっている。
と、いうのも私は本が好きで、読んだ本をXとかThreadsとかInstagramに共有するのだけど、写真のセンスはないし、スマホでちまちまと文章(キャプション)を打つことが本当に苦手なのだ。
もちろん面白い本を共有して、次の読者に繋げる活動はしたいし、私の目標としては書評本を出版することだったり、アンソロジーを編んで出版することだったりするので、SNSでの布教活動というか、仕事に繋がるような活動はしていくべきなのだ。

以前、書評ライターとして働いていたとき、傷つくことの連続だった。クライアントの要望に応えられないし、修正は何度も来るし、挙句の果て、どれだけ修正しても「これじゃ本の魅力が伝わらないから掲載しません」と言われたこともあった。
その後に所属していた会社は音信不通になり、送っていた原稿が載ることもなかった。
私は二度と書評ライターにはならないと決めた。素人だからってどちらの会社も書き手も舐めすぎだし、扱いにも本当に腹が立つ。けれど私はそのことがキッカケで読書を嫌いになることはなかったし、書くこともやめたいとも思わなかった。
なんとかしようともがいてはいた。

私が書評ライターとして働き出したタイミングで、「けんごさん」というtiktokで小説の紹介をしてバズり、今や第一線を走る方が現れた。
素晴らしいなと思った。
私はしゃべることが大の苦手で、何かを人に説明しても聞き返されることが多く、結局伝わらないことが多い。
けんごさんの動画は的確に小説の要点を説明し、魅力を語り尽くしている。それでいて、動画時間が短いので忙しい現代人にはピッタリだと思う。
動画で本を紹介するという新しい形を作ったけんごさんは、活字離れが進む現代においての読書の救世主ともいっていいと思う。

私が最近思うのは、私はいったい何をどうしたいのだろうか、ということだ。
私も「読書は楽しいよ!」「本は楽しいよ!」ということを伝えていく活動をしてはいきたいと思ってはいる。
けれど、Instagramを眺めてみると編集にこだわった本の紹介投稿がたくさんあったり、リール動画もとてもこだわっている作っている人がたくさんいる。
これだけ本の紹介をInstagramでする人がいたら、破壊的にセンスのない写真しか取れず、編集もままならず、そもそも私自身がそこまでSNSに積極的ではないため、私が本の紹介を時間をかけて不細工な投稿をする必要はないよなあと思うのだ。
動画の編集も苦手だし、おしゃべりも苦手だし、不細工な画像の投稿しかできない私は、本を読むことしかできない。

そもそも私はSNS部分の囚われすぎて、現在本を読むことにためらいすら覚えてしまっている。
いや、なんだかんだと言い訳して買うことばかりに重きを置いて、「この本?あー、知ってる知ってる。持ってる持ってる」と何を自慢げにしているのだろうか。情けない。いったい私は何を自慢したいのだろうか。
たくさんの本を持っていること?サイン本を持っていること?本棚に入りきらないほど積ん読を抱えていること?
私の中で「読書」というカテゴリが、だんだんと「読む」ことから「集める」ことにシフトチェンジしてしまっている。
「読むことが楽しかった」という現実が、SNSの影響で強迫観念のように「読書」に追い立てられていることに気づいた。

とにかく私に今できることは「読むこと」。
おしゃべりも苦手だし、動画も作ることができないし、SNSの投稿が不細工な私にできることはとにかく「文章を書くこと」。

そんなことを改めて考えさせられたのでした。

西桜はるう



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?