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読書だけだったあのころ

私の読書のキッカケは、母が勧めてくれた偉人の伝記漫画からだった。
家の近くに大きな図書館もでき、2週間の期限に1人15冊借りることができたので、目一杯借りてとにかく読んだ。
偉人の伝記漫画の次は「学校の怪談」シリーズにハマって、怖いのが苦手なくせに「トイレの花子さん」とかを読んできゃあきゃあ1人で騒いでいた。
私が小学校2年生のときに「ハリー・ポッターと賢者の石」と「ハリー・ポッターと秘密の部屋」がセットで販売されて、子供に与える児童書にしては少々お高めだったのに、母はなんのためらいもなく買ってくれた。
そこから私はハリー・ポッターの世界へとどっぷりハマっていくことになる。

中高と少し読書とは距離を置いていたけれど、でも相変わらずハリー・ポッターシリーズは大好きだったし、中学生は本格ミステリにハマりだした年齢でもあった。有栖川有栖センセの火村シリーズを図書館で追いかけて読むようになり、ミステリの面白さをその頃に知ったような気がする。
中学生のころは今ほど漫画に対して苦手意識を持ってなかったので、友人から少女漫画や少年漫画をよく借りて読んでいた。漫画というものをいちばん読んだのが中学生のときかもしれない。これ以降、私は本格的に漫画に対して苦手意識が芽生え、読まなくなってしまうのだ。
漫画とはだいぶ心が離れてしまったけど、活字の本からは離れることなく細くも強い糸で繋がっていた気がする。

高校2年生の秋、私は不登校になる。以来、卒業するまで保健室登校を続けたのだけど、そのときも救ってくれたのは本だった。
不登校になってからは西尾維新にどっぷりとハマり、次々とシリーズを集めて読破していく。今もファンを続けているぐらい大好きな作家さんだ。

こうして読書遍歴を振り返ってみると、毎日いろんな愉快・不愉快な出来事がありつつもあのころは読書のことだけ考えても全然へっちゃらだった。
そりゃ、「宿題やだな」とか「友達とけんかしちゃったな」「お母さんに怒られたな」と思うことはあっても、「ま、いいか。本読も」となって、読書だけに夢中になることが許されていたような気がする。
大人になった今は考えなきゃいけないことがたくさんあったり、やらないといけないことが細々と出てきて、学生のときのよう「読書のことだけしか考えません。とりあえず本を読ませてください」とはいかない。
多くの社会人が日々の仕事や家事の追われ、何か一点に集中することを世間が許してくれないような気がするのだ。

かくいう私も、読書は今も大好き、本が今も大好きだけど、仕事があり、家事があり、周りのいろんな出来事に翻弄されることも多い。
だからか「本だけ読んで暮らせたら……」とぽぉーっと思ってしまう。そんなこと絶対に無理なんだけど。
読書だけに夢中で、あのころのように読書のことだけ考えていた日々がなんだか懐かしい……。

私は器用じゃないから、1つのことしかできない。多趣味であった方がなんというか人生が豊かになる気もするんだけど、結局一極集中型になってしまうことが多い。
今までも編み物をしてみたり漫画を頑張って読んでみようしたことがあったけど、私が続けてこられたことは結局、読書と文章を書くことだけだった。
だとしたら、「あー、あのころはよかった」と懐かしむのではなく、一極集中型どんなもんじゃい!と読書と文章(書評、と呼べるのか分からん感想)を書くことを続けていったらいい。
読書のことだけ考えていたあのころに、戻ったらいい。

もちろん仕事はあるし、日々やらないといけない細々としたことはあるけれど、それ以外の時間を「読書のことだけ考えていたあのころ」に戻そう。
斜めに構えず、純粋に読書を求めていたあのころに。

と、ふと考えたのです。

西桜はるう








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