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曽山一寿先生に学ぶ、人の名前を呼ぶ大切さ

でんぢゃらすじーさんで知られる曽山一寿先生のブログを見ている。

勿論先生のツイッターもフォローしているし、そこから更新情報を確認してはブログに飛んで、たまにうんこちんちーんなコメントを残している。もうコロコロは全然読んでいないのだけれど、曽山先生の漫画は今でもいつの時代でも新たな衝撃を与えてくれるから大好き。

そんな曽山先生のブログは短期集中毎日連載シリーズがあり、これは普段のコロコロでは見られない、いや見せられない?ちょっとオトナな題材。なのだけれども作風は如何にも曽山先生らしいユーモアさを残しているのは流石プロだ。ブログ内でじーさんがバズーカ撃ってきたりしなくても、伊達に20年以上コロコロで活躍しているだけあって、この作風は実家のような安心感がすごい。それでありながら時折しみじみとくる話もあるから飽きさせない。

そんな最近はポケモンカードのアルバイトの話を連載中であり、これもなかなかに興味深く楽しんで読んでいるのだが、その中でも非常に感銘を受けた話があった。

◆人の名前を覚えるテクニック

四度も声に出して名前を呼んで覚えるというテクニック。
ただ心の中で思うのではなく、ハッキリと声に出す。こうやって書くとそんなのアタリマエのことかもしれないが、そう言うだけならば簡単な話である。これができるようでなかなかできない。

ここから隙自語警告注意報だが、ぼくはいちいち自分や他人の名前を呼ぶのが恥ずかしい人間だからうまくできない。リアルでもネットでもだ。というかそもそも、名前を覚えるのがニガテな人間だ。
流石に仕事相手やネットでの付き合いの人(フォロー)なら長年もの付き合いだからちゃんと覚えているし、ていうかそうじゃないとまずだめだろう。やっていけないだろう。
が、電話中初めてだったり聞き慣れない相手の場合だと途中で名前を忘失してしまい、わざわざ尋ね直すことが多い。如何にぼくが不真面目で、他人に興味を持っていないしょうもない人間なのが丸わかりである。メモを取ればいい話なのだが、ぼくはいつの時代も電話対応が大のニガテだし、メモをとろうとしてもテンパるし、突然闇金ウシジマくんから電話がかかってきたらどうしようと畏れるくらいチキン野郎である。

仕事以外でも、最近はDLsiteのレビューでキャラ名を書き間違えたやべーヘマを犯したほどにぼくはキャラの名前を憶えるのが苦手だ。キャラの名前どころか、以前蒼山サグ先生の名前を間違えてしまったのだが、最近またしてもやらかしてしまった。こればかりは名前を憶えていないというか、確認を怠ったぼくの責任である。全然エアプじゃないけど、エアプを疑ってもいい。
ところでそのレビューに「参考になった」が二つも入ったときはめちゃくちゃ恥ずかしくなった。名前!!思いっきり間違えているんですよぼくは!!エアプを余裕で疑えるんですよ!!DLsiteのレビューは掲載後何故か修正がかけられない(修正依頼はできなさそう)仕様なので、ある種の公開処刑にもなっている。
あとその作品、レビュー投稿後に別サイトのフォームに登録で抽プレ受付してくれるんだけど、こればかりは当選するかどうか怪しくなってきた。これで当選したらなんだか申し訳ない気がしてきた。ぼくは当然欲しいけど。

そんな誰も得しない隙自語はさておくとして、今回の曽山先生の漫画を読んでいて、「なるほどな」と腑に落ちたアドバイスだった。相手の名前を何度も呼ぶという発想を幼少期から身につけたかった。執念深く意識していきたいなと思いました、まる

◆名前を記憶に残らせるのは本当に重要

こうやって名前を呼ぶことって本当に重要だと思う。なんなら個人的に漫画における持論だとも捉えている。とてもエラソーなことは言えないし言うつもりもないので、軽く参考にする程度でいい。

というのは、作中で何度も執念的に名前を呼ばせるのって本当に大切なことなのだ。「トリコ」とか「ボボボーボ・ボーボボ」とか「断りベタの安田さん」のようにタイトルにそいつの名前が冠されているものならともかく、テロップくんや呼称これを数回作中で呼んだだけでは覚えてもらえないのはザラだ。ましてや一発では正解できないような、難しい漢字になると難易度が引き上がる。

サブキャラならともかく、主人公の名前を呼ばないとかもう読む気ない・付き合う気なんてないだろと言われても無理はないと思うのだが、ぶっちゃけそういうのは勝手なエゴだと思っている。読者が自ら頑張って覚えるのではなく、作者が読者に覚える気にさせるのが良い漫画の条件だと考えている。

◆名前をなかなか覚えてもらえなかった一例

こんなぼくでもなるべく主人公の名前だけは覚えようと積極的になっているし、ジャンプの新連載がはじまるたびに「はいはいホニャララくんねー」と対話するように意識しながら読んでいる。ひとつ「主人公の名前を覚えられない」という冗談のようでマジな逸話を小耳に挟んだことがある。

以前、ジャンプで「アヤシモン」という漫画が連載されていた。来年こそアニメ放送開始されるだろう「地獄楽」の賀来ゆうじ先生の待望の新作で、連載当初はかなり期待していたのだけれど、これが半年で打ち切られてしまった。打ち切りの原因は賀来先生のファンであるぼくでも苦しくなるくらい色々思い浮かび上がるのだが、そのひとつが主人公マルオのキャラの薄さも含まれていると考えられる。いやいちおう好きな子なんですけどねマルオくん。

連載当時、「主人公の名前が印象に残らない」みたいな意見を見かけてて、いやいや嘘だろ、マルオだなんて覚えやすい名前じゃん、ズバリズバリうるせえメガネ野郎と被ってるけど覚えやすいじゃんとツッコんでいた。
が、その中で指摘されていたのが「作中で主人公の名前がなかなか呼ばれていない」ということだった。

第1話を読み返してみると納得した。
登場6ページ目でやっと「マルオ」という名前が出てきて、作中4回しか呼ばれていない。内訳すると、冒頭のモブ不良と中盤回想のモブ不良からそれぞれ2回。しかも自ら名乗ってもいない。ヒロインのウララさんへもだ。

…えっそんなに少なかったの!?これじゃあ印象に残らない人がいても無理はない気がしてきたよ!

掲載当時ぼくはこの第1話を絶賛しててアンケも1位で送っていたのだけれど、あのときはこれからの期待込みも兼ねてたのだと思う。だからこそ、積極的にマルオくんの名前は憶えるようにしていた。ハッキリ言って個人的贔屓概念によるものだと考えている。
勿論、賀来先生のファンではない地獄楽未読の読者もいてもいいわけで、思い入れなんて生まれず、名前も印象に残らなかった、そういった捉え方の違いもあっておかしくなかった。今回改めて分析すると、連載当時1話から案外賛否両論だったのもいまさらながら頷けられた。

うん、というわけで、しつこいくらい自己紹介やっとくのって重要ですね!!「オッスオラ悟空!」って偉大なんですね!!

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そういえばnoteって自己紹介のページも作れるんだっけ。ぼくはまだやってなかったな。実際そうだか知らんけど、Twitter経由でやってきた人でもぼくのことは「0時からジャンプ感想してる人」「チェンソーマン信者の人」「デンジくんかわいいと毎週発狂してる人」という認知されてて、ロクに名前覚えられてない気がする。というか、自分のHN言うのなんか恥ずかしいんだよ~!


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