「200字の書評」(334) 2023.1.10
明けましておめでとうございます。併せて寒中お見舞い申し上げます。
いつものような朝が来ると、そこは新年でした。時の流れに変化はないはずなのに、暦が変わると別な息遣いの社会が現れる。70数回新年を迎えて、こんな朝そんな朝があったと、思いを巡らす後期高齢者です。
年賀状をくださった方ありがとうございました。早朝から配達してくれた郵便屋さんにも感謝です。
さて、今回の書評は歴史の陰に消えて行った東ドイツについてです。あのメルケルの故郷でもあります。
河合信晴「東ドイツの歴史―分断国家の朝鮮と挫折」中公新書 2020年
東ドイツの成立と政治体制、そして国民の意識について、固定的概念の不確かさを教えられる。ソ連圏の最前線で西側と対峙した優等生が抱える矛盾と苦悩は深刻だった。同盟国として軍事的経済的援助を受ける半面、ナチスの負の遺産を継承して賠償義務を背負っている。この不条理さは経済力と豊かさを誇示する西ドイツとの格差と相俟って不穏さを醸成していく。崩壊する壁は一つの結果であって、正解であったかは問われることになる。
【睦月雑感】
▼ 年末年始にかけて事件事故が相次いでいました。不可解な事件は暗い世相の反映かもしれません。こちらの気持ち迄暗くなります。
▼ コロナ禍第8波深刻です。メディアは中国の感染急拡大を、やや揶揄気味に伝えています。我が国の感染対策は充実しているのでしょうか。感染者は全国で連日20数万埼玉県も1万人越えです。死者は4百人に達しています。3年間の教訓から学んでいるかは疑問です。検査体制、医療体制の構築を急ぐべきです。
▼ キシダ首相、年頭記者会見で少子化対策の強化を打ち出しました。防衛費倍増と増税は敏速に手を打っていますが、少子化や子ども政策には迅速な対応ができるのかは疑問です。異次元のとか何とか、誇大な表現には鼻白んでしまいます。子育て、福祉、教育、研究、文化などなど軽んじてはいませんか。
▼ 日本海側の各地では豪雪被害が深刻です。連日の除雪に住民は疲弊しています。際限ない除雪は辛い作業です。あれだけ降ると除雪した雪の処理をしなければなりません。排雪です。道路わきや住宅地に積みあがった雪をダンプに積み込み、雪捨て場に運ぶのです。これには3要素が必要です。積み込む重機、運ぶ大型ダンプ、川などの安全な捨て場です。このいずれにも安全確保、誘導をする人が必要です。除排雪並行しての作業が必要で、巨額の費用が掛かります。
▼ ウクライナ戦争先行きが見えません。年末年始も攻撃にさらされ厳寒の冬に逃げまどう市民、前線で命をすり潰している双方の兵士たち。一日も早く停戦を望みます。平和が訪れることを希求します。シリア、イラク、アフガニスタン、ミャンマーなどの難民問題を軽視してはなりません、気にかかります。
<今週の本棚>
霧島兵庫「二人のクラウゼヴィッツ」新潮文庫 2022年
戦争の理論的解明を試みた古典的名著「戦争論」の著者はプロイセンの軍人クラウゼヴィッツです。私は興味を持って2度ほど挑戦しました。学生時代に一度、2度目は釧路での土建屋時代に。岩波文庫のボリュームある3巻を読了できず、周辺の解説書でお茶を濁しました。本書は小説仕立てになっていて、クラウゼヴィッツと聡明な妻との掛け合いと、対ナポレオン戦争の戦況と教訓が適度に盛り込まれています。「戦争論」で究明しようとした論理が理解しやすくなっていました。もっと早く出版されていればよかったと思わされました。戦争と政治との関係を研究した「戦争論」の意味をもう一度考えても良い時期です。
★徘徊老人日誌★
12月某日 伯母の1周忌に当たるこの日、スカイツリーにほど近い墨田区に出かけた。都内に足を踏み入れるのは半年ぶり、乗り換える秋葉原駅のホームは様変わり、昔は売店だったはずの一角はガチャがずらりと並んでいた。墓前に線香をあげ、手を合わせて冥福を祈り、急ぎ足で帰宅。
1月2日・3日 恒例の箱根駅伝、お雑煮をいただきながらテレビ観戦。本命の駒沢大学が危なげなく優勝、対抗の青山学院は往路で遅れて苦戦、それでも復路の追い上げは見事。私の母校は何とかシード権を確保して面目を保つ。坂戸近隣と沿線にグランドや合宿所所を持つ城西大学、東京国際大学、大東文化大学、東洋大学は出走し健闘。
1月某日 午後M君来宅、夜まで飲んで語り楽しく過ごす。彼は息子の高校時代の親友、但し息子は勤務の都合で帰省せず不在を承知で来てくれる。高校生のころから時々遊びに来て家族同然の関係。年に数回こんなこともあり、まるで第2の息子のよう。父親を早く亡くした苦労人、気兼ねなく語れる準家庭との思いかもしれない。来てくれるのは嬉しい。
1月某日 今年最初の燃やせるゴミ収集日、集積場は一杯になっていた。出した当初は綺麗だったのに、数時間後に近くを通りかかると散乱していた。カラスの仕業だが、きちんと網をかぶせぬ不心得者の不始末でもある。ゴミ当番が苦労する。
1月某日 9日は成人の日とか。15日ではなくなったのは随分前のような気がする。国民の祝日にはそれぞれ理由があって設定されていたはず。ご都合主義的に休日を増やす意図で操作して良いのだろうか。今回は18歳と20歳が交差している由、自治体の困惑がしのばれる。
☆徘徊老人の悲嘆☆
三が日を過ぎてから配達された年賀状の中に、雰囲気の違う灰色の葉書があった。胸騒ぎがして裏返しにすると、ある人の訃報だった。K本氏が昨年亡くなっていたとのこと、強い衝撃を受けた。
私の恩人の一人。富士見市の教育行政の場で力量を発揮し、公民館、図書館、考古館などの社会教育体制の整備に努めた。職員体制と施設の整備に並行して、専門職の専任化を条例規則に明記して全体の体制を確立した。専門職性をあくまで追求し、庁内外の保守的勢力からは敵視され攻撃されながら、市民と協働し持ち前の鋭い政治感覚で着実に構築していった。社会教育行政と社会教育機関の権限、役割を明確にした。たぐい稀な構想力と、それを実現する実行力の持ち主だった。いわば富士見モデルとして埼玉県だけではなく、全国の社会教育関係者からは高い評価を受けていた。私の敬愛する北田耕也先生の一番弟子で、知行合一を体現する人であった。私を富士見に呼んでくれたのもこの人であった。
「K本の前にK本無し、K本の後にK本なし」(ワカゾノ説)と言いたい。また昭和を彩った一人が去っていった。合掌
後期高齢者2年生です。頭も体も軋みが出始めていますが、もう少し続けるつもりです、本年もお付き合いください。言葉の軽さが気になるこの頃です。言葉の意義は読書と対話によって培われると信じています。先人、哲人、市井の人びと、人生のいろいろな場面で出会い、感心し時には憤り己を振り返る。どんな場面にも言葉があります。自分の中に取り込み玩味して、自分の表現に置き換えられるか、難しい仕事です。
混迷が深まる一方です。寺島実郎が「昨年は明治維新から敗戦まで77年、それから今日まで77年、時代の折り返し点だった」とラジオで語っていました。その歴史的転換点に安保政策の大転換です。あのタモリも「新たな戦前に」と危惧していました。穏やかならぬ雲行きを感じます。
コロナ、インフル、社会不安に抗って、元気を出して一年乗り切りましょう。 庭では蝋梅が香っています。