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童話『クスノキの鐘』後編 

 雨に打たれ、風に葉を揺らしても、クスノキの幹はどっしりとして動かず、枝ではたくさんの鳥達がひっそりと身を寄せ合っていました。静まり返った鳥達の頭の上で雷が鳴っています。
「クスノキのおじいさん、強いね。こんなにすごい嵐なのに、ビクともしないや」とカラスの子が母親に言いました。
「そうね」と母ガラスは子ガラスを羽で包み込みました。
 丘の上に白い光が瞬き、少し置いて雷がとどろきました。今までで一番大きな音に地面が揺れ、その揺れはクスノキの幹から枝を伝い、鐘を揺らしました。錆びついたぜつが動き、コンっと音を立てました。
 小さな音でした。しかしこの音が、クスノキに昔を思い出させました。ハンスのおじいさんが語ったクスノキと鐘の話です。
 クスノキは海からの強い風の力を借り、枝を揺らし始めました。
「ワシも鐘を鳴らさねば」
 枝が何本か折れても、クスノキは揺らし続けます。
「すごく揺れてるよ……なんだか怖いよう」
 カラスの子だけでなく、鳥達はみな心配そうに枝を見つめています。
 太い枝がしなり、鐘が揺れ始めました。稲光が丘を包み、雷が鳴る中、カッ、カッと錆びついた舌が鐘を打ち始めます。カッ、カッ……カッ、鈍い音は、カン、カッ、カン、カンと次第に大きくなり、カーン。ついに澄んだ音が鳴り、嵐の中に吸い込まれました。クスノキは稲光に照らされながら枝を揺らし続けます。届け。届け。かつて父がしたように、自分も鐘の音を村に届けなければならない。
 カーン、カン、カッ、カン、カン、カッ、カーン……。
 大きく響くようになった音が丘を下っていきます。
「みんな、よく聞いてくれ」
 クスノキの声に鳥達は顏を上げました。
「ここにいては危ない。すぐに飛び立ってくれ」
 鳥達は驚きました。羽を膨らませる者、仲間同士さえずる者。
 ピカピカッ……バリッバリッ……ドドーン。地面が震えます。
 カーンカーンカンカッ、カーン、カッ、カン、カーンカーン……。
 大きな鐘の音が、雷に負けまいとするかのように響きます。
「もう時間がない。飛び立ってくれ、早く」
 クスノキのおじいさんの、これまで聞いたことのない悲しみを帯びた声。ただならぬものを感じ、たくさんの鳥達が飛び立ち、少し離れた場所に下りて、雨に打たれながら心配そうにクスノキを見上げています。
「ぼくはいやだ。クスノキのおじいさんといる」
 カラスの子は、しっかりと枝につかまっています。
「ありがとうよ。でも巣立っていくんじゃなかったのか。坊よ、一人でも精一杯、生きていくんだぞ」
 クスノキは枝でカラスの子を弾き飛ばし、親子がクスノキから離れた瞬間でした。白い光が点滅し、天が割れるような音とともに落ちてきた光の矢が、クスノキをてっぺんから貫きました。幹を裂き、地面に突き刺さった矢は、まだ丘全体を揺らすだけの力を残していました。
 地響きが収まり、鳥達が見守る中、クスノキはゆっくりと倒れ、炎に包まれました。
「ク、クスノキのおじいさん!」
 カラスの子の呼びかけに、答える声はありませんでした。ただ炎を吹き上げ、燃える音がするだけです。
 村から多くの人が、ハンスを先頭に丘を登ってきました。鐘の音を聞き、村人を集めてきたのです。ハンスの見た光景は、彼のおじいさんが子供の頃見た光景と同じだったに違いありません。
「嵐の時、丘から鐘の音がしたと思ったら、雷が落ちた。ハンス、クスノキは村に知らせてくれたんだと、ワシは今も思っているよ。火事を大きくしないためにな」
 雨が上がり、雷雲が去った後の青空の下で、ハンスは鐘を拾い上げ、泥を落としました。火を消した後もまだくすぶっているクスノキですが、根元に青々とした芽が出ていました。
「またいつか木が育ったら、この鐘を吊るすよ。もっともその頃、ワシはいないだろうが」
 そう呟くと、ハンスは寂し気に笑って丘を下りていきました。
「クスノキのおじいさん…」
 他の鳥達が名残惜しげに飛び去った後、最後まで残っていたカラスの子がじっと倒れたクスノキを見つめていました。
「守ってくれてありがとう。ぼく、今日巣立つよ。でもまたここへ戻ってくるからね」
 ハンスも、カラスの子もクスノキのことを忘れることなく、語り継いでいこうと決めていました。
                               〈了〉

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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