見出し画像

連作ショート・ショート『鼻たれ神』第三話

 「願い事は三人」

池の中から女神が現れた。
「お前の落としたのは、この神か?」
「違います。そんなに汚くなくて、長い鼻水がたれてます」
「では、この神か?」
 女神は池の中から白い貫頭衣を着て、糸のような細い目をした小男を連れてきた。
「はい。それです」
「勇よ、神に向かってそれとは何ぢゃ」
「おだまりなさい。今はこの女神が話しているのですよ。勇とやら、あなたはとても正直な青年です。褒美に二柱とも神をやろう」
「えっ! 女神様、いりませんよ」
 女神は勇の言葉を無視して池の底に沈んでいった。
「ちょっとぉ! 待って下さい、女神さまぁ!」
……

「うわあ!」
 勇は布団から跳ね起きた。びっしょり汗をかいている。
「何だったんだ、今の夢は」
 夢の意味はこの日の夜、知ることになる。

 スーパーの袋を手にアパートへ帰ってきた勇は、自分の部屋の前に何か置いてあるのに気がついた。宅配を頼んだ覚えはないし、荷物というよりボロ布である。誰かがボロをむき出しで捨てていったのだと思い、軽く舌打ちをした。その途端ボロ布が動き出し、
「勇、おかえり」
「えっ? 鼻たれ神じゃないよね。あんた誰ですか?」
「想像つかない?」
 伸び放題の髪とヒゲ、杖を手にしているものの手垢で黒光りしている。貫頭衣を纏っているが、どこかが引っかかっているだけとしか思えないほど破れ、臭ってきそうだし、手で触れるのをためらうほど汚い。
「まさか……」
「そのまさか。貧乏神」
「帰って! 帰って! もう間に合ってます」
「そう邪険にするな。鼻たれからお主のことを聞いて、会ってみたくてのう。決して悪いようにはせんから、中で話さんか」
 勇が部屋のカギを開けると貧乏神は先にずかずかと上がり込み、部屋のまん中にどっかりと座り込んだ。
「メシを食うなら遠慮するな。わしは欲しがったりせん。じゃが……」
 温めた弁当をテーブルに運ぶ勇を見ながら貧乏神は、
「くれると言うならいただこう」
「別にいいけど、半分……あっ!」
 貧乏神の手が伸びてきてご飯をわし掴みにし、おかずが床に飛び散った。
「何するんだよ!」
「心配するな。落ちた物もきちんといただく」
 腹がくちくなった貧乏神は満足の吐息を漏らし、
「さて、お待ちかねの願い事だ。言ってみろ」
「貧乏神に願い事なんて……あれ? ちょっとこの部屋」
 勇は部屋中を見回した。古いアパートだが、こんなに傷んでいただろうか? 壁や畳は焼け、天井にあんな染みがあったっけか? それに、
「あっ、オレの服。買ったばかりなのに」
 なぜか生地が緩み、首回りなどかなりよれている。帰宅した時にはこんなことにはなってなかったはずだ。
「今頃気づいたのか。わしがいると、みんなわしと同じデザインになる」
「冗談じゃない! 出てって! 出てって! それがオレの願い」
「貧乏神が聞き届ける願いは、三人だ。お主が選んだ三人を貧乏にする。さぁ、三人選べ。誰でもいいぞ」
「う、そんなことできないよ」
「ではお主の貧乏が進むぞ。よいのか? さぁどうする、勇?」
「何でだよ。何でこんな目に合わないといけないんだよ」
「その原因になった奴を貧乏にしようかって、わしか。ははは。さぁ勇、貧乏にしてやりたい奴の一人や二人、いるだろう。早く言わないとお主の貧乏が加速するぞ。いいのか? いいのか?」
 勇の頭の中を次々と人の顔が駆け巡る。この人なら、と思考が止まりかけ、慌てて首を振った。
「できない! できないよ! うっ、うっ」
「貧乏神、もうそれぐらいにしてやるのぢゃ」
 畳に突っ伏して頭を抱えていた勇は、顔を上げた。
「鼻たれ神! 助けて。この神様、なんとかして」
「分かっておるから、泣くな。貧乏神、勇はわしが言った通りの優しい男ぢゃったろうが。あとはわしに任せるのぢゃ」
「そうか。なら任せよう。勇、会えてよかったぞ。話は鼻たれから聞くがよい。じゃあな」
 そう言い残すと貧乏神は出ていき、勇の服も部屋も元の姿に戻った。
「ちと戯れが過ぎたようぢゃが、悪く思わんでくれ。これでも奴のお主への好意なのぢゃ」
「どこが? ひどい目に遭っただけだよ」
「貧乏神はのう、一度出て行った戸口から二度と入って来んのぢゃ。つまりここに住んでおる限り、お主が貧乏することはないということぢゃ。しっかり頑張って働けば、金は貯まるばかり。笑いが止まらんのう」
「もしオレが引っ越したら?」
「その時は次にこの部屋に住む人が恩恵を受ける。きっとお主の功績は、幸運の部屋への感謝とともに長く語り継がれるぢゃろう。では勇、またな」
 鼻たれ神はドアを出ようとして振り返り、
「勇、なぜ誰でもいいから貧乏にせなんだ?」
「だって、普通できないよ」
 鼻たれ神は頷いて目を細め、何事かつぶやくと鼻水をズズっとすすった。
「わしはお主のそういう所が気に入っておる。勇、また会おうな」
 そしていつものように消えていった。                                                     
                               〈了〉
少し長くなってしまいましたが、読んで下さってありがとうございます。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?