連作ショート・ショート『鼻たれ神』第四話(最終回)
「勇の思い出」
(世の中、変わったのう)
道行く誰を見ても余裕がなさそう。せわしなく足早に、周りの景色どころか人や車にも注意しているように見えない。
鼻たれ神は道端から起き上がった。倒れていても誰も気づきもしない。気づいても無視されることが多くなった。
(世知辛いのう)
仮にも神の名を持つ自分すら生きにくい世の中。鼻たれ神は寂しかった。
夕暮れの陽を浴びながらヨロヨロと歩き、公園で水を飲んだ。少しは空腹が紛れた。ベンチに腰を下ろして杖を立てかけた。
(人間にとって神は、利益を与えるためにのみ、おるようぢゃの)
虚しさを覚えていた。以前は願いが叶った時の喜ぶ顔を見るのが好きだった。感謝されることも嬉しかった。しかしここ数年はどうだろう。一飯を恵むことを投資と考え、願い事は大きな利益と考える人間が多すぎる。与えても与えても、より大きな利益を求められるのが嫌だった。
「たった一度の食事を与えるだけで、三つの願い事GET!」
などというビジネスもどきに利用されそうになったこともある。神である自分を紹介して紹介料を取ろうなど、あの時ほど人間をあさましいと思ったことはない。
(人間が嫌いになった。信じられぬ。そろそろ潮時かもしれんのう)
神の国に帰ろうと思った。でもその前に会っておきたい男がいる。
(勇まで変わってなければよいがのう)
最後に会ってから、もう十年ほどの月日が流れている。
「ふむ。少し老けたようぢゃが、変わっとらんようぢゃの」
三十路の半ばぐらいになった勇だが、昔のように人の好い面影がある。勇らしい人生を送っている様子が窺え、鼻たれ神は糸のように細い目をより細くして頷きながら見つめた。
「しかし、なぜ今もここに住んでおるのぢゃ」
今の彼を見つけるのは少し時間がかかるだろうと思っていた。それが、まず念のために訪れた昔のアパートにいるとは。貧乏神が出て行った部屋。普通に働いていれば金は貯まっているはず。
「どうしたことぢゃ、勇よ」
窓から様子を窺っていると、勇は何やら楽し気に荷造りをしている。時折誰かと話している彼の視線の先には、彼とそれほど年齢の違わないような女性がいた。
「おう、おう、あの勇めにも春が来ておったか」
窓の外で鼻たれ神は嬉し気に何度も頷いた。耳を澄ますと話し声も聞こえる。懐かしい声だ。
「君はどうしてもっと早く引っ越さないんだと思ってただろうね。狭い部屋だしさ。今まで話してなかったけど、ここは幸運の部屋でね……」と勇は鼻たれ神との出会いから、どうして部屋に幸運が宿ることになったかを女性に話して聞かせた。二人とも引っ越しの片付けの手を止め、勇が話している間、女性は笑みを浮かべてじっと彼を見つめていた。
「それで、その後鼻たれ神さまとは?」
「会ってないよ。今もどこかで行き倒れているんじゃないかな」
(さっきまで倒れておったが、今は倒れておらぬ。失礼な奴ぢゃ)
「また会いたいと思う?」
「そりゃ会いたいさ。オレの恩人だもの。神様を恩人なんて呼んでいいのか分かんないけどさ。あの神様はいつもオレのためを思ってくれた。今も感謝を忘れたことがないよ。君も会えば、きっと好きになる」
(勇よ……お主は昔のままぢゃ。月日もお主を変えなんだとみえる)
鼻たれ神は目頭を押さえた。
「こんな人間が、他にもおるやもしれぬ」
神の国にはいつでも帰れる。もう少し人間を信じたいと思った。
「勇、その女子といつまでも幸せにな」
鼻水をすすろうとして思い直した。今の彼らは願いを叶える者を必要としていないような気がした。
(勇、頑張るのぢゃ。わしも、もう一度頑張るからな)
鼻たれ神は、ひっそりとアパートから立ち去った。
連作ショート・ショート『鼻たれ神』〈完〉
〇このお話でシリーズはおしまいです。拙い話ではありますが、たくさんの方に読んでいただけて、感謝しております。ありがとうございます。
鼻たれ神のイメージイラストは、はちドットビズさんのサイトからいただきました。お礼申し上げます。
湊川 拝
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