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「先輩!」という雰囲気を感じたことのない人生で僕が学んだこと

皆さんは学生時代、「先輩!」と言ったことはありますか?珍しいのかどうかはわかりませんが、私は「先輩!」みたいな扱いをしてきませんでした。

正確には、その環境に身を置いていなかったことがでかいと思います。

と言うのも
中学時代では1,2年生は山村留学ですが、小中一貫校で上下関係がほぼない学校にいて、その後3年生では地元の公立の学校。

高校でも上下関係ない、そんな環境の人生をここまで歩んできました。

珍しいケースなのか?どうかはわかりませんが、そんな雰囲気というか、環境に身を置いていないからこそ、学んだことはないのかな?と疑問に思い少し考え、記事にしてみました!


先輩は生まれてきたのが早かっただけ

これは「先輩!」の雰囲気を体験したことがないから、言えることなのかもしれませんが、私からすると、「生まれてきたことが早かった」「入社したのが早かった」だけだと思っています。

批判ががあるかもしれませんが、事実には違いないと思います。

しかし、「先輩!」と言っている人たちを否定しているわけではありません。私にも、尊敬できる年上もいますし、年下もいます。

成果を常に出さなくてはいけない世界

先輩、後輩という区分がないと、どのような関係になるかというと、年齢ではない別の軸で判断されます。

N高校では課外活動で成果を収めている人だったり、プロジェクトのリーダーなどが憧れの存在になったりします。

そうなると、憧れてもらうためには成果を出す必要があります。年齢関係なしに評価されるということはある意味で平等です。

ですから、どのような方法で他の人と差をつけるのか?どうやったらあの人よりも良くなれるのか?を考える世界だと個人的に思っています。

これはあくまでも、私のスタンスの部分もあるとは思いますが、先輩、後輩という区分がないというのであれば、当然このような形になると思います。

優劣をつけたい人間

私のあくまでも感想ですが、人のほとんどは優劣をつけたいのかなと思います。日本で育ったということもあるかもしれませんが、小学生の頃から運動会などでは足の速さ、中学生では学力、など多くの判断軸をもとに優劣をつける構造になっていると思います。

その中で簡単に優劣をつけることができる「年齢」は年上であれば、上であるかのように錯覚してしまうのかなと思います。

実際、実力がなくても時間が経てばなれるものです。その判断軸で尊敬するところもないのに、「先輩!」と煽ててしまうのは違うのかなと思います。

また、私が望むのは横の関係です。これはアドラー心理学の考え方ですが、同じ立場、同じ仲間として扱う、常に同じ人間ではあり、対等であるべきだと私も思います。

先輩、後輩のスタンスを変えてみる

私が最後に伝えたいことは「先輩」「後輩」のスタンスを変えることだと思います。

というのも

私が問題提起しているのは「スタンス」です。先輩、後輩という事実があったとしても、スタンスに事実はありません。

ここで私が重要だと思うスタンスは、「仲間」ということです。先輩は先に入った仲間、後輩は後から入った仲間、上下ではなく、先か、後かの違いというスタンスです。

優劣をつけたいと思う気持ちがあるかもしれませんが、実際、人間大した差はありません。ちょっとした差を自慢するのではなく、お互いに尊敬し合う、そんな姿勢が大切なのかなと思います。