デンマークでの再入院


デンマークで入院した↓をかいた翌日。

わたしはまだお休みをもらっていて、お昼ごはんはスティーネのカフェで準備してもらっていた。

手術後だから、まだお腹が痛い。傷が痛い。うまく歩けない。

手術後だから。

と思っていたけれど、痛み止めもあまり効いていないような気がしていて、むしろ手術前よりずっと痛みは強く、ご飯も食べれない(というか作れない)状態が続いていた。

次の日、息も絶え絶えでカフェまで歩き、着いた途端貧血みたいな目眩とお腹の痛みでカフェのテーブルに突っ伏した私を見て、スティーネが病院を予約してくれた。
予約はその日の1時間後で、スティーネに呼び出されたデンマーク人のおばあちゃんが車で島の病院まで連れて行ってくれるという。というより、ほぼスティーネに強制されてしょうがなく、みたいな顔をしていたので、本当に助かる、ありがとうと連呼して車に乗った。

痛み止めが切れた(というかもらえるのが少なすぎだよと思っていた)ので、またもらえるのかなと思いつつ診断を受けると、「今すぐオーフス(前行った大学病院)に行って」と言われる。

貴重品とiPhoneと編み物を突っ込んだカバンに、家で履く用のサンダルをつっかけ、完全に家に戻るスタイルで病院に来たのに、救急車で搬送されることになってしまった。

救急車っていうけど、船の関係で3時間病院で待たされた後にのんびりとした出動。

病院まで車で送ってくれたおばあちゃんは待合室でも励ましてくれて、町に戻ったらスティーネに伝えとくね、と心配そうに帰っていった。


20時の船に救急車ごと乗り込み、大学病院に着いたのは23時前だった。

看護師たちに名前が言いにくいとかコロナとハルナでちょっと似てるとか笑われて(似てないよ、ナだけだろうが!と不快だった)、前の病棟の看護師よりもなんか全体的に冷たく感じた。
コロナの検査もされた。(もちろん陰性、上の会話のあとに検査されたのですごく嫌な気持ちがした)
熱は38.9度あった。


ちなみに、体温は直腸で測るのが普通で、最初脇じゃなくておしりに入れるんだと言われたのでとても驚いた。
日本と同じ見た目の体温計だけど、お尻の中に先を突っ込んで測らなければいけない。薄いフィルムを都度付け替えているけど、最初は抵抗があった。

というか外国で盲腸になっておしりに体温計突っ込まれるなんて私のライフプランになかった。最悪だよもー。と思った。

調べてみると脇で体温を測るのがメジャーな国は日本くらいらしい。
脇で測るより1度くらい高く温度が出る、そして脇で測るより遥かに早い。

また1回目のCT検査のときのように、夜中にCT検査をした。
痛みはピークで、助けてくれーとひたすら願った。
検査前に毎回CPRナンバー(デンマークでのマイナンバーみたいなやつ、自分の生年月日+割り当てられた4桁)を確認されるのだが、もうこの時点で完璧に覚えていた。


隣のベッドには年配のおばあちゃんがいた。
日本人ということ、盲腸の手術をしたことを話した。隣でおばあちゃんが家族に電話をかけていたときに「隣のベッドには日本人の小さい女の子がいるの」と紹介されていた。


医者に症状について説明され、私はてっきり腫瘍があると言われたと思っていたが、(単語力の問題です)
後から腫瘍ではなく膿瘍と言っていたことが判明する。

毎日5回抗生剤の点滴をして痛み止めを毎日飲んだ。
痛くて眠れないときには夜中に痛み止めを打ってもらったりした。

着の身着のまま着たため、コンタクトレンズや眼鏡や充電器をスティーネが送ってくれた。このときにもうちょっとしっかり物資を頼めば良かったと今では後悔。てっきり1日2日で退院すると思っていたのに結局1週間入院することになったので、シャンプーや部屋着や色々足りないものがあった。
スティーネが送ってくれた充電コードは違う種類のコードで使えなく、看護師さんに毎回借りることになった。

スティーネはお菓子やデンマーク語のディズニーの漫画も送ってくれていて、優しさに泣きそうになった。

治療を受けて3日目くらいでやっと痛みがマシになったかなと感じた。家族ともLINEでまともにやりとりができるようになった。
食欲も復活した。

デンマークだけではなくて欧米はそうなのだろうか、日本のおかゆみたいな「身体に気を使った食事」「消化のいい回復食」みたいな食事は基本病院で出ない。フォルケホイスコーレ(学校)やファームステイで毎日食べていたようなメニューしかなかった。わたしが入院していた胃腸科は比較的身体が辛そうに見える人が多いところ(点滴のおじいちゃんやゆっくりしか歩けないおばあちゃんがいて、トイレで誰かが吐いている音が聞こえることもしょっちゅう)だったのだが、食事はパンにレバーペーストとサラミをのせたものやカレーやサンドイッチやミートソースパスタ、じゃがいもに豚肉ステーキ、など普段と変わらない味付けの、日常のごはんだった。
正直これがかなりつらく、食欲がなかったころは塩気の多さに一口も食べられなかった。

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(とかいいつつも、食欲が戻ってからは割と楽しみにしていました笑)


病院で治療して6日目、突如退院を告げられる。わたしは荷物をまとめて、患者ホテルに移された。翌朝になると血液検査のために前いた病室のところに運ばれて検査と医者との話し合いのために4時間待たされ、それは3日続いた。
正直なぜ病室を出なければならなかったのかよく分からなくて不満だったけれど、患者ホテルについてホームページで調べると「排泄、食事、入浴が自分でできる患者」(とその家族)のためのホテルとかいてあり、私はそれに該当していたからかな。

患者ホテルの良かったところは、トイレとシャワーが部屋についていたところ。
病院より清潔だった。

シャンプーがなかったので借りられるかなと思ったら「ああ、ハンドソープそれ髪も身体も洗えるから!」と言われてハンドソープでずっと髪を洗うハメになった。当然、洗顔も化粧水もなく、硬水というのもあって全身が乾燥した。
こんなに身なりに長期間気を使わなかったのは本当に久しぶりで、久しぶりに鏡を見たら自分がジャングルブックのモーグリに激似だった。

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(これです)


痛みはだいぶ引いてきた一方、アジア人ということで病院内で目立っているような気がして孤独を感じたり、3日連続で「明日の検査次第では家に帰れます」と言われ、いやちゃんと結果見て3日かかるんなら正しく逆算してからそれ言ってくれよ、と思ったり、精神的な疲れが出てきていた。

日本のくだらないバラエティを延々とyoutubeで見続けた。
何か見ていないと、考え事をしてしまい、考え事をすると胃痛を感じたのでストレスもあったと思う。

最終日の検査はお昼に終わり、看護師さんに「今日もう島に帰れる?」と結構しつこく聞かれて「Nej!」と強めに答えた。これからバスを3回乗り継いで船に帰るのはムリ。疲れていた。

最後に話した看護師さんが「これで終わりです、がんばったね、本当にお大事にね」と言ってくれた。

患者ホテルでもう一泊して病院を出ることにした。

次の日、病院を10時に出て、何日ぶりかの外の風を感じた。
少し雨が降っていた。まだお腹が重苦しい感じはするけど痛みはだいぶ引いた。

病院をひとりで出た途端、ああもう出てもいいのだろうか、ちゃんと治っているのだろうか、もう一生ここに来たくないのに、などいろいろと不安になりバスの中で医療系のホームページを読みまくった。が、今は健やかな気持ちで安静に過ごさなきゃなと思い直して帰宅し、今に至ります。

そして、

愚痴を聞いてくれた友人たち、毎日電話してくれた家族、大学のデンマーク語専攻の先生、デンマーク大使館の方、母を通して間接的にアドバイスをくれた日本のお医者さんたち、デンマークに住んでいる日本人の方、noteを読んでくれた方、など

色々な方たちがわたしを支えてくれて本当に心強かった。


見守っていただきありがとうございました。

今は身体に気をつけてのんびりしようと思います。

今後は様子をみつつ、日本に帰ることにします。
コロナ自粛、突然の入院といろいろあって、
友人をいっぱい作ったり授業を受けたり

想像していた留学生活は送れなかったけれど、
確実に、最強にタフな私が更新されました。



学費もほとんど返ってきて、休暇で行く予定だったヨーロッパ旅行もできなかったので、少し上等なお土産を買おうかな。


おわり

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